軽便鉄模アンテナ雑記帳

軽便鉄模アンテナ管理人(うかい)の雑記帳です。ナローゲージ鉄道模型の話題が主

PECOバリキットの思い出


★ダックスの話題で盛り上がるナロー模型ブログ界でありますが、燃料が投入された事ですし、ワタシは英国PECO(ピィコ)のバリキットについて少々思い出を語ってみたいと思います。
しかしその前に、「バリキット」がどういう品かを説明しておかねばなりませんね。イギリスのナロー製品では一般的なホワイトメタル鋳造による上回りキットで、Nゲージの普及型Cタンクの下回りをそのまま利用します。イギリスの9ミリナローはOOゲージ(1/76 16.5mm)に合わせたOO9(ダブルオーナイン。1/76スケール・9mmゲージ)ですので1/87のHOナローに比べて少々大きめですが、気になる程ではありません(・・・と思います)。
★バリキットが日本のナローゲージモデラーに最初に紹介されたのは、鉄道模型趣味(TMS)誌1973年10月号(304号)に掲載された片野正巳氏による名記事「玉軌道の車輌たち」だと思います(のちに「ナローゲージブック1」に再録)。
この中で、バリキットを組み立てた蒸機が玉軌道2号機として登場しており、片野氏の名文によってバリキットの2号機は多摩川の土手沿いを、小田急との併走区間を元気に走り回っていたのです。
ちなみに1973年といえば、かの87分署の手になる「ダックスストーリー」が一年間連載されていた年でもありますが、実は最初から途中で休載するスケジュールとなっており、その休載された月に玉軌道が掲載されているのです。TMSの山崎主筆の作戦だったのでしょうか?
ご承知の通り、PECOの代理店はTMSの発行元である機芸出版社であり、バリキットも玉軌道の記事掲載と前後して輸入が開始されたようです。この後、編集部の赤井哲朗氏によるバリキットの詳細な組立解説記事が1974年5月号(311号)に掲載されました。
バリキットはバリも多かったし*1、合いもそんなに良くなかったのですが、赤井氏の名調子になる解説記事を読んでいるとやる気になってくるから不思議です。
「ダックスストーリー」に合わせて珊瑚模型店から出たダックスや、後に87分署が設立した新ブランドである乗工社から出たコッペルはどちらかというと高級ファン(最近この言葉は聞かなくなりましたね)向けであって、バリキットの方が一般ファンには親しみやすかった気がします。ハンダ付け不要で接着剤で組立OK*2、下回りはNゲージそのままなので確実に走るのです。
PECOはバリキットの他にも「ダグラス」(←作業部日誌V3に出ている廃車体のネタはコレ)「ジェームス」「ジャネット」「ドルゴー」といったホワイトメタルのナロー蒸機上回りキットを発売しており*3、これらも機芸出版社扱いで輸入されていました。しかし一番ポピュラーで人気のあったのはバリキットであったと思います。
★私がナローを始めたのは1983年頃(なんと25年前だ!)、そのころは乗工社は国内向け製品は休止状態、ひかり模型や珊瑚もナロー製品はその頃は殆ど出しておらず、それ以前の熱いブームが嘘のような冬の時代でした。
 ナロー関連の製品も書籍も尽く品切れor絶版という時代。カラーブックスの「軽便鉄道」(松本典久著)*4を見ながらコクヨの方眼紙に下手な模型化設計図を書いては夢を膨らませていました。客車や貨車はペーパーで作ってNゲージの台車を履かせれば何とかなりそうですが、機関車だけはどうにもなりそうにありません。という訳で、ナロー機関車探しが始まったのでした。
 最初に買ったのは、家から一番近い専門店であるホクトモデルに売れ残っていた酒井型DL。台枠がドロップ製でキャラメルモーター時代の製品(乗工社パワーユニットがキドマイティ化されるのはその少し後です)。さっそく組み立ててみるものの、上回りはハンダ付けで失敗してグチャグチャ、下回りは組み立ててもギアが固くて上手く走らず、雑誌等で読んだ記事をまねてギアにコンパウンドを付けて線路に押し付けて手で転がしていたら・・・何と車輪の接地面が平らに削れてしまってお釈迦。
 それでも懲りずに再びホクトモデルに行き、今度はポーター亀の子を購入。今度は失敗せず無事カタチにはなったものの、やっぱり上手く走りません。これでホクトモデルに残っていた乗工社ナローの機関車キットは売り切れ、そこからナロー機関車探しの旅が始まったのです。とは言っても、珊瑚模型店だとかエコーモデルだとかまでは行っていないのです。珊瑚は行ったのですが、階段の前で怖気づいて入らず、エコーは高校生には遠過ぎました。
 バリキットを入手したのはタヴァサホビーハウス。Nゲージ専門店の印象が強いタヴァサですが、実はナローも扱っていて、かの長者丸氏も学校が近かった事もあってよく出入りしていたとか。当時の広告には「Nゲージとナロー」と書いてあって、それで行ってみたのでしょう。タヴァサがまだNゲージのエッチングキットや細密パーツなどを出す前の話です*5。広告の地図を頼りにたどり着いたタヴァサのショーケースの中で、黄色いボール紙の箱のバリキットを「発見」したのです。TMSの記事ではよく見ていましたが、現物を見たのは初めて。喜び勇んでそのバリキットを買って帰ったのでした。
 余談ですが、その時に店内で「キロポスト」というコピー本が売られていたのをちらりと見ました。トミックスが出している冊子と同じ名前だなぁとか思って記憶に残ったのですが、今にして思えば、それを作っていたのは学生時代の長者丸氏*6だったのです。
閑話休題。そうやってバリキットを手に入れたものの、上回りだけのキットなので下回りに使うNゲージのCタンクを入手しなければ走りません。1970年代であればミニトリックスT3は学研が輸入代理店だった事もあって、デパートの模型売り場等で容易に入手できた様ですし、アーノルトラピードも国際貿易*7かどこかが入れていて簡単に手に入った様です。しかし、その頃はデパートや天賞堂なんかでも見掛けなかったような記憶があります(あったのかもしれませんが、学生のお小遣いで買える値段ではなかったのかも)。そういう訳で、バリキットをせっかく手に入れたものの、上回りだけの状態で温存するしかなかったのでした。
それから暫くして、とれいん誌に外国型Nゲージの中古品のガレージセールをやる旨の告知が掲載されたのです。たしか広告欄に出ていたような気がするのですが、ガレージセールの告知をするのに広告費をわざわざ払うでしょうかね?? という訳でインフォメーション欄だったのかも。ともあれ、いそいそと出かけていきました*8。会場は確か代々木近辺の教会だったような記憶があります。個人のコレクションを処分していたのでしょうか?
この時ローカルのTTゲージ製品を初めて見た(というより、人生でローカルTTを見たのはこの一回のみ)のが印象に残っています。
教会という事で神の思し召しがあったのでしょうか、ナローの下回りに使えそうなアーノルトのT3と凸電を発見し、格安で購入。これでようやくバリキットの足回りが手に入ったのでありますよ。
ペーパー自作の車体にグリーンマックスの旧型気動車用台車*9を履かせた客車を作り、これをバリキット蒸機に引かせて走らせたところまでは覚えてますが、その後受験→浪人で鉄道模型どころでなくなってしまい、大学に入ってからも鉄道模型以外の事に目がいっていたのでそれ以上の進展はありませんでした。
★その後、1990年に小林信夫氏がTMS誌に登場。それまでグリーンマックスのカタログでイラストはおなじみでしたが、誰がそのイラストを書いているのかは明かされていませんでした。もっともごく初期のレイルマガジンに何回かイラストを投稿されていたので、それを見ていた人は「小林信夫」という名前は知っていたのですが、一般的にはこの時に「GMカタログのイラストの人」が誰であったのかを多くの人は知ったのでした。
 その小林氏の最初のTMS誌での記事が1990年6月号の「ナロー蒸機2ダース+1」で、静かに模型界から姿を消して行こうとしていたバリキットやダグラス、ジェームス、ジャネット、いさみやの雨宮等のホワイトメタルのナロー蒸機キットへのレクイエムとも言える内容でした。「ナローゲージブック3」を出すとしたら、必ず再録して頂きたい記事であります。
その翌月の1990年7月号3カ月後の1990年9月号では乗工社の日本型復活の広告が掲載。くろがねのあひると頚城のコッペルの予告がされたのです。時はバブル真っ盛り。1990年なんてつい昨日だった様な気がしますが、既に18年も前の事なのですね。
小林氏の記事と乗工社の復活がキッカケとなって私のナローも再起動。小林氏の記事掲載と同時にTMS誌上で残っていたバリキット等のPECO製OO9蒸気ボディキットの通販の広告が出て(在庫処分だったのでしょうか)、2台目のバリキットはこの時に購入しました。こちらは暫く温存した後、イギリスのナロー雑誌に広告の出ていたアングリアン・ライトレイルウェイというお店から海外通販でイギリスOO9のキットやパーツを取り寄せた際、ミニトリックスT3も一緒に注文して入手、玉軌道2号機レプリカとして組み上げて今も現存しています。最初に買った1台は老朽化にともないモーターがいかれて休車、その後上回りは某電鉄会社の車掌の「鳥肌」さんことTさんがバリキットを欲しがってらしたので、お譲りした記憶があります。(最近お会いしてないけどお元気かしら?)
★そういえば、トミックスから出ている機関車トーマスシリーズのパーシーはNゲージのBタンクとしては異様に良く走るのですが、バリキットの下回りに良いかも。他にもバックマンのドックサイド&シフターや、ライフライク(マイクロエース)のサドルタンクを使ってまとめ上げている方もおられます。手元にバリキットがあるけど、下回りが手に入らないという人は試して見て下さい。

*1:バリが多いから「バリキット」なのではない。バリエーションの「バリ」です。

*2:というよりハンダ付けするとトロリと溶けるので、接着剤で組み立てるしかない訳ですが

*3:ダグラスとドルゴーは正確にはPECO製品ではなくGEM製品で、機芸出版社がPECO経由で輸入していたものです。

*4:何でも大阪の旭屋書店である週の売り上げベストテンに入ったことがあったらしい。マッハ模型が同じフロアにあったのも理由かもしれませんが、当時ナロー本枯渇時代だったのも一因かと。

*5:そもそもその頃はNゲージのエッチングキットはシバサキ模型しか出していなかったのですよ

*6:校舎がピラミッドで教授がプロテ星人のあの学校の鉄研の会誌だったのでした

*7:前にも書いたけれどエガーバーンの輸入代理店も国際貿易でした。ダイキャストミニカーの輸入代理店として有名

*8:このころはまだ鉄道模型市の前身のスワップミートもやっていなかったような・・・。今ほど中古品販売も一般化していなかったのです。

*9:本来キハ04用に発売された台車ですが、肝心のキハ04が事実上絶版になってもこの台車は律儀に生産されていますな。