軽便鉄模アンテナ雑記帳

軽便鉄模アンテナ管理人(うかい)の雑記帳です。ナローゲージ鉄道模型の話題が主

TMS1978年8月号を読む

★今日は鉄道関連雑誌の発売日でしたね。という訳でTMS(鉄道模型趣味)の8月号を読んでいるんですが、宮代・橋本両氏の「赤い軽便電車」いいですねぇ〜。あと、表紙裏の自社広告で「TMSが贈るnowな臨時増刊 プレイモデル」ってのが出てますよ。
・・・何か変だなと思ったら、8月号は8月号でも30年前の1978年8月(363号)ではないですか!
あまりの暑さでアタマがボケてしまったようですが、せっかくですから丁度30年前のこのTMSの中身を見て行きましょう。
ナローゲージモデルの記事は「赤い軽便電車」と「赤いコッペル」。奇しくもどちらも赤井哲朗、いや「赤い」ですね。意図的なのか?偶然なのか?。
「赤い軽便電車」の方は、製作は宮代博之氏、文と図は橋本真氏。つまり87分署近辺による記事なのであります。KATO*1NゲージEF65の下回りにペーパー製の車体を被せて近鉄風の軽便電車にした作品。プロトタイプは松阪線のモニですが、下回りに合わせて少々短くデフォルメされています。
実車三重交通松阪線モニ)写真

車体はペーパー製。シンプルではありますが今見てもしっかりとした出来で、綺麗な艶のある仕上げになっています。パンタも自作、下回りも床下器具は自作、台車側枠はつぼみ堂のHOトロリー用*2と交換と、かなり凝った作品になっています。
色は題名通り赤。「赤く塗る事はスタートした時から決めていた」と記事にはあり、マッハの3等車の帯色で塗装したとの事。非常に鮮やかで印象に残っていますし、ワタシも軽便電車を作るとしたら絶対赤く塗るぞ・・・と今でも思っています。
ここで「?」と思った方もおられるでしょうが、実物は赤ではなく、近鉄マルーンなので少々色が違います。そもそも、実物の三重交通松阪線モニは、松阪線廃止後に電装解除されており、近鉄マルーンに塗られていた頃にはサハになっていました。この辺りから87分署は決してバリバリのスケール指向ではなかった事が良くわかります。
この記事には原寸大の側面図と前面図が掲載されていますが、これがまるっきり乗工社の説明書の図なのです。初期の乗工社は87分署の活動の延長で、それらの図も橋本さんが描かれていたでしょうから*3別に不思議ではないんですが、図では模型作品にはないリベット(実車は初期の鋼製車なのでリベットゴツゴツ)がしっかりと書き込まれています。もしかすると、乗工社で発売しようと思って設計したものをペーパーで作ったのでは無いでしょうか?
乗工社はこの直後にKATOのDD13の下回りを使うNゲージの小型電車のメタルキット*4を発売していますので、それと同じようにEF65の下回りを使ったHOナロー軽便電車キットを考えたとしてもおかしくありません。
さて、実はこの記事、何故かスケールもゲージも書いていないのです。原寸大の図を見ればナローゲージャーなら1/87である事が分かりますが、当時小学生だったワタシはこの記事を見て、Nゲージの動力を使っているのにどうやらNゲージではないらしい事に大いに悩んだものです。それがナローゲージというものだというのを知ったのは暫く経ってからの事。お小遣いで買った「プレイモデル」に載っていた乗工社の広告で「ナローはNゲージの線路を走るHO」と書いてあったのを見て、ナローという概念を理解したのだったと思います。
「赤いコッペル」は中島二三男氏の作品で、'77鉄道模型作品展*5自由型賞受賞作品。大幅にデフォルメしたOナローのコッペルで、「変った車輌30題」の角倉氏の作品(イプシロン鉄道ですね)に影響されたとの事。マンガチックなデフォルメで「BB戦士ガンダム」に近いといったら分かるかな?。イプシロン鉄道、岸和田軽便、ブーピープ鉄道などと同様の路線の作品です。勿論フルスクラッチで工作はしっかりとしており、単なるウケ狙いの安易な作品*6ではありません。
当時はかなりインパクトがあった作品だと思うのですが、ナローゲージブックなどに再録されなかったせいか忘れられてしまった感があるのが残念。
★「製品の紹介」欄は製品の数が少なかったゆえに、今と違ってゆったりしているのですが、そこでカツミの阿里山18トンタイプシェイの量産試作品が掲載されています。あと、エコーモデルの自転車キットが「まさにオソロしくも楽しい製品である」として紹介されていますが、「他社の後発予定品に先取りの意味でか、発売に踏みきったもの」とあります。他社ってどこだったんでしょうね? ちょっと気になります。
★広告欄を見ると、製造:中西工房・発売:珊瑚模型店Oナロー木曽のボールドウィン運材台車の広告があります。珊瑚の広告とは別に単独の広告になっており、「新しいナロー路線にアタックなさいませんか!」という見出しになっています。
ボールドウィンがベースキット35000円、運材台車がキット・2台車分1組4800円。この時にアメリカ流の1/48(1/4インチスケール)を採用し、その後の珊瑚やオレンジカンパニーもそれに習い、日本のOナローの縮尺は決まってしまった訳*7ですが・・・
乗工社の広告では木曽ボールドウィン後期型ベースキット10000円が好評発売中。この頃はつつじヶ丘にショールームがあった頃でした。
PECO製品の広告ではナローOO9ボディーキットが掲載。ジャネット、ジェームス、バリ・キット、ドルゴー、ダグラス号と5種類が出ています。バリキットは組み立てられるバリエーションのイラスト入り。今気がついたんですが、「バリ・キット」と間に中点が入ってますね。あと、ダグラスだけ「ダグラス号」と「号」が付いています。
しなのマイクロの広告ではNゲージED17が「いよいよ近日発売」としてトップに掲載。これはもともと1/80ナローの黒部峡谷凸電*8の動力が利用できるというところから企画が始まったらしく、それが結局ちゃんとした動力を作る事になった模様。しかしこれがしなのマイクロの破滅への第一歩だったとは、この時は誰も思わなかったのであります。
★珊瑚模型店の広告、および巻末のお知らせ欄では、第2回軽便祭開催のお知らせが掲載されています。開催日付は1978年10月10日。今の軽便祭=軽便鉄道模型祭が10月なのも、それに習っているのかしら?>長者丸氏
★まだまだ書きたい事はありますが、眠くなってきましたのでこの辺にて・・・

*1:当時はKATOではなく関水金属と呼んでいました。今でもメーカー名は関水金属ですが

*2:記事には明確にメーカー名が記載されていませんが、多分つぼみ堂で間違いないと思います。ホイルベース19mmで専用の動力ユニットと一緒に売られていた品です

*3:「軽便の譜」ってのもありました。

*4:車体はエッチング、屋根はホワイトメタル。小田急デユニ1000、江ノ電800タイプ、阪急デロ、国鉄キハ40000が出ていました

*5:珊瑚模型店主催で、審査がTMS編集部でした

*6:1990年代はそういうのが多すぎてイヤになったよね

*7:かといって、今更「1/45ナローを出して1/48を潰す」なんて事は言わないで早く雨宮を(以下略)

*8:割合最近まで模型屋の棚の肥やしの常連だったなぁ〜