軽便鉄模アンテナ雑記帳

軽便鉄模アンテナ管理人(うかい)の雑記帳です。ナローゲージ鉄道模型の話題が主

TMS新年号を新年に読む

いつもですと、月末にTMS(鉄道模型趣味)誌のレビューを「軽便メディアチェック」でしている訳ですが、先月末は書いていませんね。やっぱり1月号はお正月にお屠蘇を飲みながら読むのがベストと言うもの。読まずに取っておいたのでありますよ。フッフッフッ・・・
さて、その1月号ですが、表紙には「新年特別号」とあり、レイアウトの鉄橋をDD50が渡っている写真。このレイアウトは雲竜寺鉄道ではないですか! 表紙をめくるとグラフ欄に9ミリゲージ自作蒸機とナローの沼尻DC12が。このDC12はモデルワーゲンともワールド工芸とも違う品のようでね。ゲージは10.5mm???

・・・あれれ、これは1月号は1月号でも、41年前の1969年1月号ではありませんか!
というわけで、鉄道模型趣味1969年1月号(No.247)を読んで行きたいと思います。

マイワールドでいこう!

★最初の記事は「TMS対談シリーズ(4)マイワールドでいこう!」。当時日産自動車のデザイナーであった木村一男・飯塚英博の両氏と、TMS編集部の山崎喜陽、なかお・ゆたか*1両氏との対談。
飯塚英博氏は「ニューブルーバードを担当した 自らは「レイジーなファン」と称するが、本誌の1号からの読者である」と、木村一男氏は「日産の第二造形課で、最近のディレクト作品はサニークーペ、古くはシルビア。山崎とは芸大入学前からのつきあい、年刊スタイルブックの表紙デザインを担当したこともある」と紹介されています。

▲これが木村氏が担当したという初代サニークーペ。

▲初代シルビア。少数がハンドメイドで製作された美しいクーペ。
初代シルビアの原デザインが木村氏であった事はこのブログでも以前書きました(Nゲージマガジン50号(雀は電線に三羽止まる)*2。近年は鉄道車両のデザインで知られていますね。
まず最初はあいさつから始まり、続いて「デザイナーと個性」という項。ここで出てくるダットサンのデザイナーでSLファンの「佐藤さん」というのは、おそらくダットサン110や初代ブルーバード310、さらには日産退社後にトヨタスポーツ800の原型であるパブリカスポーツ*3をデザインした佐藤章蔵氏の事でしょう。
やま氏は「昔の車には個性が出てる。現在の自動車に少しでもそういうものが出ているか、と同時に現在の鉄道車輌に出てるだろうか。」と語っていますが、41年後の現在、その時代の自動車や鉄道車輌が個性があるとされ、「それに比べて今は〜」とか言われていたりするのを見聞きすると、歴史は繰り返すというか何と言うか・・・。
二番目の項は「国鉄とデザイン」。新幹線や月光型(581/583系の事です)のデザインに触れています。その後日産を退社されてからの木村氏の鉄道車輌デザイナーとしての仕事と思い浮かべつつ読むと感慨深いものがあります。木村氏は「今でも鉄道車輌のデザインはやってみたいね。ブルーバードは10年経つと絵本から消えるからな」と語っています。
その次は「2人の模型史」「メキシコと台湾」と続きます。ここでは以下に引用する部分が印象的でした。

木村 僕はそれまでの0番を全部もやした。部品は外して、非常な感慨をもってもやした。ペーパーのボディーはよくもえる。心の中で、これからは16番だと宣言した。
中尾 それはやっぱり芸術家的なセンスをもっているものの心情だ。何かの激しさがある。
木村 ペーパーで色を塗るまでになっていたインターバン、プロトタイプガイドに出てたそれを、感無量でもしたのです。

その次の項の「マイ・ワールド」で、木村氏はLGBを「コンセプションを持ったモデル」と評し、日本のメーカーにそれが無い事、9mm(Nゲージ)も「スタートに多少それを感じたが後が続かない」と嘆き*4、山崎主筆は「日本の模型メーカーにはトータル・ワールドがない」「メーカーにも”鉄道を売れ”とよくいうんだ。そうしなけりゃメーカーだってもうからないよ」と語り、最後に中尾氏が「我々はそれをメーカーに期待していつも裏切られている。一方マニアにもなかなかいない。期待するのはやっぱりあなた方。本当のデザインが分り、センスを持っている人達になる。車輌を作るのがうまい人だけではダメだんだ。」と締めています。
最後の項の「モデルは創造」。この項での木村氏の発言の中で、以下の通りエガーバーンについて触れられている部分があります。

僕がエガーを作ったときにはエガーを媒介としてキムワールドを作ることによって、高いものができるだろう。その時、エガーは媒介でしかない。そうなった時に、コレクターも自作する人と同じような次元でクリエートしていけるはずだ。日本にはその媒体となる製品が少なすぎるのが残念だ。

続けて木村氏は「ボーナス10万ハリこんで三越へかけつけてエガーバーンを買ってきて」と、アームチェアー*5から立ち上がる為の決意を述べています。当時10万といったら相当な額で、これを読んで「大人が金任せに・・・」というような感想を抱いた少年も当時いたように聞きますが、これは木村氏が16番に転向する際に0番を全部燃やしたのと同様に、新しい世界へ飛び込む為に激しい決意や行動が必要だという事を述べているのでしょう。また、エガーバーンという製品が「マイワールド」創造にとってそれだけ魅力的な製品であったという事でもありましょう。
41年後の現在、お正月に一大決心をし、模型店に行って「マイ・ワールド」建設の為にドカンと一度に買おうと思っても、それだけの在庫もないし、そもそもそれに値するインパクトのある製品、マイワールドを作る媒体となる製品がどれだけあるでしょうか? いろいろと考えさせられますな。

どうもつらつら書いていても皆様にこの対談の内容が伝わったかどうか・・・。抜き出した部分はほんの一部であって、出来る事なら全文掲載したい位です。全般的な感想としては、山崎・中尾両氏が、読者に伝えたいものを判り易く伝えるが為に、デザイナーであり旧来からのモデルマニアである飯塚・木村両氏を招いて対談した、という印象も受けました。そしてその目論見は果たされていると思いますし、この対談の内容は現代においても決して古びていないと思います*6。興味を持たれた方は機会があったら一読してみてください。

雲竜寺鉄道の衝撃

★レイアウト記事は今だに語り草となっている有名なレイアウト、荒崎良徳氏の「雲竜寺鉄道祖山線」の連載第1回。この記事は後にレイアウトテクニック」に再録され、1990年代になるまで何度も再版されたので、むしろそちらでご覧になった方が多いかと思います。
やま氏が「新年号のためのとっておきの記事」と編集者の手帖欄で書いていますが、当時のファンがこの記事を見て受けたインパクトは凄かったことでしょう。草木の表現などはさすがに今見ると少々物足りないかもしれませんが、カラーグラフの編集部のキャプションにある通り、美しいレイアウトです。細かく作りこんであるというより、絵に例えればデッサンがしっかりしているレイアウトと言いましょうか。
摂津鉄道がどちらかと言うと旧世代の技法(新聞紙の紙粘土等)で作られたものであるのに対し、雲竜寺鉄道はプラスター(実際には焼石膏を使用)によるハードシェル技法で作られており、それなりの規模のレイアウトを1年という短期間で完成に持ち込んでいます。
記事中に工程表が出ていますけれど、これってプロジェクト管理でよく用いられるWBS(ワーク・ブレークダウン・ストラクチャー)そのものですよね。「レイアウトは一生掛けて・・・」だの、「じっくり作るのが・・・」だのという、中途半端な人生論(?)的な事を言う人もいますけど*7、やはりテキパキと作るべきものではないかしら?と思います。基本部分を早期に完成させれば、細かい仕上げをじっくり行う事も出来ますしね。普通のモデラーでもやる気と最新の技法さえあれば、短期間で優れたレイアウトを作る事が出来る・・・というのが雲竜寺鉄道のミソだったと思うのです。米国の鉄道模型誌・モデルレイルローダー(MR)の主筆ウェスコット氏が来日した際にTMS誌主催で開かれた懇談会(当時TMSに執筆していた熱心なファンを招いたようです)でウェスコット氏が解説したシーナリー技法を学び、それを用いて製作した旨が冒頭に記されています。

その他の記事

Nゲージでは(この当時は「9mmゲージ」と呼称)平石久行氏の国鉄蒸機2800と8800が掲載。いずれもフルスクラッチビルドで、動輪はおろかモーターもギアも自作という労作。今の目でみるとディテールこそ少ないものの、基本はカッチリ出来ているレベルの高い作品です。Nゲージの自作蒸気機関車というと、池末弘氏のC59*8や、昨年のTMSコンペNゲージ部門でも入賞されている小川謙二氏の作品群*9が有名ですが、平石氏も1960年代末〜1970年代前半にかけて、レベルの高いNゲージ自作蒸機をTMS誌上で発表されています。
★ナローではグラフ欄に並木成夫氏の沼尻鉄道DC12ディーゼル機関車が掲載。1頁のグラフで写真と編集部による解説による記事。後にそのまま「ナローゲージモデリング」に再録されているのでご覧になった方も多いでしょう。ゲージは10.5ミリで、車体は珊瑚模型店エッチング板を使用。この板は先日アララギさんのブログに出ていたもので抜いていない板*10。動輪は8.5φの木曽森林用。これはつぼみ堂の木曽ボールドウィンに使われていたパーツで、60年代〜70年代にファイトある工作ファンはこの動輪を使って、後に名作と謳われるナロー機関車模型を生み出していたのです。モーターは9mmゲージ用と説明にありますが、写真で見ると関水金属(現:KATO)のミゼットモーターと称する品の模様。これは103系初回ロット初期製品*11に使われ、分売もされたモーターです。
★「キット組立シリーズ」として、カツミの16番キハ82系キットの組立のポイントの解説記事が掲載。キットといってもバラキットではなく塗装済キット。塗装済キットというフォーマットは、今ではフジモデルの客車キットと、グリーンマックスNゲージプラキット位しかありませんね。
ミキスト欄はピンセットを輪ゴムで指に取り付けると具合が良いという話と、線路のカーブの話。カーブの話ではヨーロッパとアメリカ・日本の鉄道模型の違い(ヨーロッパの方がカーブが急)や、ヨーロッパ製Nゲージの小カーブ線路(R200前後)を使う場合のプランについて触れています。また山崎主筆は関水の線路の話にふれ、「今までの国鉄ふうにデザインされた枕木の長い線路は、2年にしてくずれさり、9mmもまた16番と同様に外国ふうの黒い枕木で標軌型の線路を使わせられることとなった。情けない話であるが−。」と嘆いています。先の対談と言い、やま氏はその当時のNゲージ・・・いや関水の製品展開その他、そして生まれたばかりの日本型Nゲージの将来に危機感を抱いていたのではないでしょうか? 
★トリとなるのは河田耕一氏の「レイアウトにとり入れられる防雪の設備」という記事。この記事も後に「シーナリーガイド」に再録されています。この手の実物シーナリー解説記事はその後も現在に至るまで多々出ていますが、河田氏の記事は的確な分析、イラストを交えた判り易い解説等、今読み返しても優れた記事が多いです。最近のこの種の記事の一部には、ただ漫然とパチパチ撮った画像を載せているだけだったり、実物の解説しかしてなくて、それを模型化するという視点が欠けていたりするものが見受けられます。河田さんの爪の垢でも飲んで頂きたいと思う次第であります。

広告も今見ると面白い

★ついでと言っては何ですが、広告欄も見て行きましょう。
22ページで学研ニトリックスNゲージの広告を1頁まるまる使って出しています。この当時、ミニトリックスは学研が日本総代理店であり、デパートなどでは結構売られていたのです。
46ページは伊勢丹の半ページ広告で「楽しい軽便鉄道の大型模型」としてレーマン(LGB)のクラウスと客車のセットの写真が大きく出ています。この当時、伊勢丹新宿店(新館7階ホビーストリートとあります)に模型売り場があり、天賞堂が担当。広告の右上にも「Tenshodo」の文字があります。
53ページには「HO庭園鉄道用品新発売」「レイアウトの夢を屋外に広げましょう」といううたい文句で、楽工社なるメーカーが広告を出しています。乗工社と似ている名前ですね。文字だけで写真はないのですが、どういった製品だったのでしょうか?
59ページのピノチオ模型の広告には伊豆急100系の真鍮ボディーキットが画像入りで出ています。電車のバラキットの走りではないでしょうか?
70ページのひかり模型の広告では「車体用金属材料発売」とあり、クモハ41、モハ43系、クモニ83-800、京浜モハ1000、モハ60(昭和14年型)、O.Sカーの名前が並んでいます。クモハ41を除き「窓穴打抜き済み」となっています。プレスで抜いていたのでしょうか? それとも両面エッチングで抜いていたのでしょうか?
69ページの関水金属の広告には「新装EF70発売」「新型線路近日発売!」とあります。1965年に初代C50と同時にリリースした線路ではなく、アトラスのOEMのいわゆる「固定式線路」に変わったのです。ちなみに広告のどこにも「KATO」の文字もマークもありません。
そうそう、広告欄を見ていて気付いたのですが、大半のメーカー・小売店は「HOゲージ」と表記し、「16番ゲージ」と表記している広告はこの時点でも少数派なのです。

昭和40年代は面白いかも

★他にも「EH10を全軸伝動に」「総裁専用車」「私の1150」「近鉄の小型車モ600系を作って」等の記事が掲載されていますが、キリが無いのでこの辺りにて。
★しかし60年代後半から70年代前半のTMSって結構面白いですね。16番中心の時代ですが、Nゲージャーの人でも初期のNゲージの状況なんかは考古学的に面白いと思います。ミキスト欄も特集シリーズとして1冊にまとめられた時代のものより、むしろこの時代のものの方が面白いような気がするのですが。今回ご紹介した対談にしても、近年の価格論争だの、ゲージ(の呼び方)論だのより87倍面白いと思いますよ。
さてさて、ワタシも「マイワールド」を作るべく、お屠蘇を飲みつつ構想を練る事にします。

(2012/09/06追記)

旧車雑誌「ノスタルジックヒーロー」誌2012年10月号に、木村一男氏へのインタビューが掲載されています。日産時代に担当された初代シルビアや幻に終わったA550X(通称日産2000GT)、サニークーペ、そしてアドバイザーであったアルブレヒト・ゲルツのについての話や、シルビアの原デザイン(リトラクタブルヘッドライト)が掲載されています。興味のある方はご覧あれ。

*1:中尾豊氏はペンネーム的?に「なかお・ゆたか」と誌上で名乗る事もありました。どう使い分けていたのでしょうか?

*2:サニークーペを担当された件は雑誌やネットの自動車関連の記事であまり言及される事がない気がしますが、初代シルビアとサニークーペを見比べると、結構デザインに共通点がある事に気付きます。

*3:ウィキペディアなどでは、生産型のヨタハチはトヨタの開発主査の長谷川龍雄氏のデザインで佐藤氏のデザインではないかの様に書かれているものもありますが、今でいうコンセプトカーであったパブリカスポーツを市販車として(長谷川主査らが)成り立つものにしたのがトヨタスポーツ800であって、佐藤章蔵氏のデザインが市販版ヨタハチとまったく無関係であるようにもとれる記述はおかしいのではないでしょうか? ちなみに関係者のインタビュー等から察するに、佐藤氏と長谷川氏はどうも馬が合わなかった様子が伺えます。芸術家とエンジニアって案外通じ合えないのかも・・・

*4:日本において、レイアウトまで含めたトータルなNゲージ鉄道模型を製品として提示したのは、70年代に入ってからのトミックスであり、それ以前のKATO=関水金属の製品ラインナップは車輌と固定式線路があったのみ。今のユニトラックやジオタウン、ユニトラムなどを擁するラインナップからは信じられない位貧弱であったのです。

*5:アームチェアー=安楽椅子。すなわち「安楽マニア」の事。安楽マニアとは、雑誌を読む位で、作ったり集めたり走らせたりしないマニアの事を指す俗称です。

*6:逆に言えば現在の鉄道模型界も根本的なところで進歩していないとも言えますな(苦笑)

*7:大抵その手の人は口だけ、実際のレイアウト作りの経験なんぞありゃしません(笑)

*8:KATO=関水金属が初代C50を発売するより前に製作された

*9:古典祭でも展示されていました

*10:抜いていないエッチング板というモノが昔はあったのです。というか、抜き済みエッチング板の方が珍しかったと思います。

*11:車体の金型は後に長く生産されたものと同一ですが、動力装置はその後のものと全く異なります。【2010/11/20追記】103系の初回ロットは初代C50の初回ロットと同じくマブチキャラメルモーターで、その後のロットでC50も103系も自社製のミゼットモーターに切り替わったようです。「初回ロット」という表現は誤りかつ不適切でした。訂正してお詫び致します