軽便鉄模アンテナ雑記帳

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グリーンマックスのルーツ・初代「須津谷急行」

グリーンマックスといえば、今では私鉄電車完成品と塗装済キットを主に発売しているメーカーですが、1970年代から80年代に掛けて、Nゲージストラクチャーキットを多数発売し、自社カタログでも代表の鈴木雅夫氏自らレイアウトの魅力について熱く語っていたのをご記憶の方も多いでしょう。
1982年版GMカタログ*1に「須津谷急行」というNゲージ電車型レイアウトが掲載されていた事がありますが、この須津谷急行レイアウトは四代目のもの。その前に初代〜三代目のレイアウトが存在し、それらは「鉄道模型趣味」(TMS)誌に発表されています。
その初代須津谷急行(Oゲージ三線式の庭園レイアウト)が掲載されているTMS誌を入手したので、ご紹介したいと思います。
★該当の号は鉄道模型趣味1956年6月号(96号)、須津谷急行は表紙に登場しており、その写真には若かりし頃の鈴木雅夫氏とおぼしき青年も写っています。
記事は「花咲きみだれる模型の国・須津谷急行訪問記」というタイトルで、同誌の山崎喜陽主筆によるもの。この当時のTMS誌のレイアウト記事では、編集部の山崎主筆や中尾豊氏が訪問して紹介するスタイルのもの*2が結構ありました。
記事本文は以下のような書き出しで始まっています。

東武東上線で池袋から三つ目、大山駅の程近くに−−といっても池袋から円タクで数分のところだが−−大山銀座と云う商店街がある。その内の一軒、大きな洋装店の裏庭に今日訪ねる須津谷急行電鉄が建設されている。
お店のそばの露路を奥へ案内されると、鈴木雅夫君が待っていた。早大に通う青年である。さてレイアウトを拝見

さて、どういうレイアウトであるのか、グラフページの編集部による紹介文を引用すると

須津谷急行電鉄は4.5米角の庭園鉄道である。外側を石とセメントで固めた築山状の土地に延長21米余の線路が敷かれ、花咲き乱れる中を電車が快走している。庭園鉄道には、屋内レイアウトとは違った苦労と共に、又それだけの楽しさもあるのだ!

線路は単線エンドレスのダブルループで、池を鉄橋で渡っており、池のほとりに「大山駅」というカーブしたホームを持つ駅があります。表紙写真に使われているのはその辺りの風景です。この当時のTMS誌はカラーページはなく表紙もモノクロですが、もしカラーだったらさぞや綺麗な眺めだったのだろうなぁと思います。
★のちに「レイアウト全書」に写真が掲載されたのでご記憶の方も多いでしょうが、この庭園レイアウトは軒先に「モハ601」と書かれたボックス状の運転室があり、窓を通してレイアウトを見ながら運転するというスタイル。この運転室は後のグリーンマックス大山店初期*3の電車の側面を模した店構え(70年代初期のTMS誌の同店広告を見ると出ています)に通ずるものがあります。
★走る電車は京急デハ230やデハ500をフリー化・ショーティー化したスタイル。ゲージは32ミリですが車体のスケールが1/35位。モーターの関係*4狭軌感を出す為にそうなっているようです。余談ですが京急デハ230は第3次須津急(TMS1971年2月号掲載)でもフリー化の上、各停用車両としてレイアウト上を走っていました。
★この記事が掲載されてから十数年後、大山銀座の商店街に一軒の模型店が開業。その店はオリジナル製品としてNゲージ客車プラキット、そして日本初の鉄道模型用プラ製ストラクチャーキットを発売。日本のNゲージレイアウトに多大な影響を与える事になります。その店の名は「グリーンマックス」、そしてその代表は須津谷急行の作者であった鈴木雅夫氏だったのでありました。

関連するリンク

*1:1980年代前半のカタログはヤフーオークションでも高値が付きますし、ポポンデッタ辺りでも目の玉が飛び出るような価格で売られています

*2:東京近辺は山崎主筆、関西方面は中尾氏が担当する事が多かった

*3:当初は「ホビーショップマックス」。Nゲージ客車キットも初期のものは「MAX」ブランドでした。

*4:縦型モーターとインサイドギアを使った動力装置の場合、モーターが台車と一緒に回転するため、大型モーターを使った場合には車体内部に当たって急カーブを切れなくなります