軽便鉄模アンテナ雑記帳

軽便鉄模アンテナ管理人(うかい)の雑記帳です。ナローゲージ鉄道模型の話題が主

TMS1965年12月号を読む

早い物でもうすぐ12月、書店でTMS(鉄道模型趣味)誌12月号を買ってきたので、さっそく読んでいます。
「キットの国電を編成する」「静岡鉄道駿遠線」「自分でできるエッチングの技法」「9mmゲージ・その新しい魅力」…
…あれれ、9mmゲージって最近みない表現ですが…と思って表紙をよく見てみると、12月号は12月号でも、1965年12月号ではないですか! 間違って古本屋で買ってきた方を読んでいましたよ。 
という訳で、今から45年前鉄道模型趣味(TMS)1965年12月号(NO.210)を読んでいきたいと思います。
★最初の記事は河村かずふさ氏による「キットの国電を編成する」。16番ゲージの市販キット/完成品の国電をどう編成するかをレクチャーする記事で、各系列毎の解説及びパンタや便所の向きを示した編成図も掲載。実物に即した編成と模型的にアレンジした編成が紹介されています。
最近はこの手の記事をあまり見ませんが、現代のNゲージでは編成セット売りが大半の上、説明書やパッケージに実物解説や編成例や編成方法が詳細に記入されている為、雑誌で誌面をさいて解説する意味があまりないからでしょう。
記事中にある「市販国鉄電車キット・完成品一覧」を見ると、カワイモデルが151系、157系、153系、101系、80系、70系、72系、155系。つぼみ堂模型店が101系、80系、70系、72系。鉄道模型社が153系、165系451系、旧50系。小高模型が153系、111系、101系、80系。カツミ模型店165系、111系、103系天賞堂151系…と、この当時は16番で新型国電についてはほぼ一通りのラインナップが揃っていた一方、旧型国電については72系以前のものはほぼ皆無であった事が分かります。ちなみにこの時代は「キット」といってもハンダ付は完了している未塗装キットや塗装済キット、あるいはペーパーキット(上の中では小高模型製品がそう)であり、自分でハンダ付けして作る真鍮バラキットというのはほぼ皆無だったのです。
★「自分でできる エッチングの技法」はこの当時真鍮自作の車両作品を多数発表されていた松尾緑郎氏による記事で、自作エッチングの方法について懇切丁寧に説明しています。感光材やフィルムを使う方法でなく、真鍮板に直接ニスで防食膜を描いてエッチングする方法ですが、今読んでも参考になる記事ではないかと思います。
★「9mmゲージ その新らしい魅力」は二井林一晟(にいばやし・いつあき)氏による論説。この号が出た1965年(昭和40年)は、関水金属(KATO)が日本初のNゲージ製品として蒸気機関車C50とオハ31客車を発売した年。当時はNゲージではなく9ミリゲージと呼ばれていた*1この新しいゲージに関する3ページの論説記事であります。
汽笛会*2の会合での9mmを支持する二井林氏と、自作ができないから面白くないとして9mmに反対する宍戸先生との討議の話に始まり、「運転の楽しさとは」「ゲーム的運転法」「スペースと9mmゲージ」「工作と9mmゲージ」「希望をもって」の各章で構成されています。今読み返してみると、現代のNゲージを予言しているようであり、中々に興味深い記事です。
二井林氏は鉄道模型において「運転」が楽しまれていない(当時の)現状を分析しつつ、生まれたばかりの9mmゲージ(Nゲージ)が工作ではなく運転を楽しむものになる可能性について言及されています。

一般的なゲーム、例えば将棋や麻雀を考えて見たい。これらは見て楽しむものではない。同じ道具を何十年と使ってもいっこうに飽きることなく、腕が上がればますます遊ぶことに興味が湧いてくる。これがゲームの特徴である。つまりゲームは見てくれが面白いのではなく、道具の作り方が楽しいのでもなく、遊び方が複雑で変化に富んでいるから面白いのである。我々の鉄道模型にもこのようなゲーム的因子を導入できないものであろうか。もしそれが可能なら運転だけを楽しむ鉄道模型が生まれることになる。

この他に、9mmではスペースが小さい為に限られた面積で新しい運転法をとることができること、16番よりレイアウトが小さくできる為、その構造自体が楽になること、車輌そのものが一つのパーツとなること等に触れています。
最後に「希望をもって」では、昭和23年のTMSの山崎主筆の「16番への招待」という記事の書き出しを紹介され、

9mmは、やま氏が16番を呼びかけた頃よりもずっと具体化され、便利な形で、いまあなたの前にある。大いにハッスルしたいものである。

と締めています。
なお、プロローグにおいて

また春ごろには、別に発売計画中のED75とスハ43系の見本を持って関西の模型店を打診してまわったメーカーもあった

という記述がありますが、これは言うまでもなく「幻のNゲージ」ことソニーマイクロトレーンの事でしょう。*3
★ナローの記事は実物記事が1つあるのみ。河田耕一氏による「静岡鉄道 駿遠線」の記事です。車両ではなく路線のムードについての紹介で、後に「シーナリーガイド」に再録されていますので、そちらでお読みになった方も多いでしょう。

新幹線は牧ノ原トンネルをはさんで2回、762mmのナローゲージの線路をこえる。運がよければ客車を1輌ひいたディーゼルの姿をとらえることができるが、エアーコンディションされた閉切りの車内からは、時速200キロの風景の一コマとして印象にとどめるにすぎない。

上はこの記事の書き出しですが、シーナリーガイドに収録されたこの記事を始めて読んでから四半世紀たった今でも、東海道新幹線にのって静岡近辺を通過する度にこのフレーズが思い浮かぶのであります。あまり語られていませんが、河田さんの記事は文章も素晴らしいと思います*4
余談ですが、この記事の中の相良の工場を写したカットに、ごくごく小さくですが建造中のDD501*5と思しき車両が写っています。
★「冬の車輌・暖房車作品3題」では「冬になると恋しくなるのはこの車輌」として、荒崎良徳氏のマヌ34、粉川武氏のナヌ32、中村汪介氏のヌ100が写真で紹介、この内の中村汪介氏の作品が「やさしい工作・簡易型暖房車ヌ100の作り方」として次のページから製作記事として掲載されています。最近ではこの手の季節感のある記事も少なくなりましたし、そもそも暖房車という存在自体が遠い過去の遺物、「なにそれ?」という時代になってしまいました。
★この他、レイアウト記事として「私の駿河鉄道」(16番)、車輌作品記事として「8900型パシフィック」、また「高校の文化祭2題」として神戸の甲南高校と東京の早稲田高等学院の文化祭での展示運転の模様が紹介されています。
★広告ではさんご模型店の広告がナローゲージ模型史的に興味深いです。この頃は「珊瑚模型店」ではなく「さんご模型店」だったのですね。この号の広告ではHOn3関連の品物が主に掲載。抜き書きしますと…

  • テンダーロコ SP No.1 2-8-0
  • テンダーロコ SP No.9 4-6-0
  • ロッグカー 上回り120円・台車320円
  • アーチバー台車(7φメッキ車輪付・1輌分)320円
  • アーチバー台車(ロスト製・車輪なし・1輌分)380円
  • カブース用台車(6.5φメッキ車輪付・1輌分)380円
  • 12φクランク動輪 ギヤー付1軸 180円・ギヤーナシ1軸150円
  • 6.5φ車輪(メッキ済・ピボット軸)1軸30円
  • カウキャッチャー(ロスト製・SP No.1,No.9用)各130円
  • 煙室扉(ロスト製・SP No.1,No.9用)各120円
  • クロスヘッド(ロスト製・左右1組)70円
  • カプラーポケット(ロスト製・1個)30円

この他、「小型モーター発売中」とあり、幅18.5mm 厚さ24.5mm 長さ22.5mm 軸2.4φ 3極タテ型で520円。
これらは恐らく輸出用に作られた製品の分売だと思うのですが、特にパーツ類は当時のナローゲージャーに重宝されたのではないでしょうか? 
アメリカ型HOn3のパーツ流用を前提とした日本型10.5mmナロー(縮尺は1/76〜1/80)は既に1950年代からTMS誌上に発表されていましたが(高井薫平氏の「なめとこ軌道」など)、輸出用ブラスモデルのパーツのおこぼれなどは、模型店の一部の常連客や工場関係者と通じている人でない限り入手する事がほぼ不可能だった様です。当時を知る先輩方に伺った話ですが、記事で「○○店で入手した10.5mmゲージの車輪を」とあるのでその○○店に買いに行くと、店主に「そんなものはない!」と一喝されて追い返されたとか…。HOn3関係のパーツを国内で公式に一般ファンが入手できるようになったのはこの頃(昭和40年頃)であったようで、篠原のHOn3用フレキシブル線路もこの前後に国内にも発売されています。
★裏表紙の裏側にはカツミ模型店の広告があるのですが、そこには「"私もモデルマニア" 新国劇俳優 大山克巳様」とあり、楽屋で撮影された、大山氏が時代劇の服装でEF60を手に持っている写真が掲載されています。カツミの広告に大山カツミ氏が出るとは、シャレで狙ってやったのか、偶然そうなっただけなのか…。

ちなみにこの頃は「マニア」という言葉は今程ネガティブなイメージでは使われておらず、TMS誌上では「モデルマニア」という言葉は度々出てきます。*6

★さてさて、45年後の最新の12月号も読まなければならないので、そろそろお開きにさせて頂きたいと思います。

(2010/11/22追記)

大先輩よりメールにて以下のようなご教示をいただきました。

  • さんごで売っていたHOn3機関車やパーツは、マイクロキャスト水野(水野製作所)の輸出用製品。パーツは恐らく余り物を国内で売ったもの。
  • 水野は当時小売り店を持っていなかったので、珊瑚が引き受けたのではないか?(水野はその後1960年代後半に中野ブロードウエイに店を開いた*7
  • アーチバー台車はロストと書いてあるのがテンダー用,車輪付のはドロップだった筈。
  • 当時はようやく日本でロストワックスパーツを作れる様になった頃(水野が嚆矢)。それまで日本で生産された輸出用ブラスモデルは、アメリカのインポーターが送ってくるケムトロン*8とかのパーツを使うしかなかった。このロストパーツは製造数しか送られて来ないので、本体の余剰分(残った材料を組んだもの)には挽物とかの代用パーツを付けるか欠品のままで、国内の一部小売り店で売られた(それもかなりいい値段で)

…との事です。
このHOn3パーツですが「まわりにいたモデラーでこれを使って何かを作った人はいなかった」との事で「重宝はされなかったと思いますよ」とのご指摘も頂きました。
(ありがとうございました!>御大)

*1:Nゲージ」という呼び名が一般的になるのは、1970年代半ば以降です。

*2:当時のTMS誌にも度々登場した、京都大学の宍戸圭一教授を始めとする鉄道模型ファンのグループ

*3:ソニーマイクロトレーンについては、ネット上では孫引き、ひ孫引きの記事ばかりで、正確な経緯や顛末が良く分からない…というか、勝手なストーリーが構築されてしまうのではないかとの感さえあります。

*4:ここで現在発売中の河田さんの著書「鉄道風景30題」のAmazonへのリンクを貼ろうとしたら、Amazonでは扱ってないではないですか! ホント使えるようで使えないですよね。amazonって…

*5:駿遠線の末期に登場した自家製B-Bディーゼル機関車。静岡鉄道は自社工場で車輌を作るのを得意としていました。

*6:SLブームやブルトレブームを経た後の1980年代前半〜中頃、鉄道ファンによる列車妨害事件等が「鉄道マニアが暴走」というような感じで一般マスコミで度々報じられ、実物趣味界等で「私はファンであってマニアではない」等の言説が出てくるようになりました。「ファンとマニアの違い」などという話題が真剣に論議され、マニアという言葉が以前より悪いイメージでとらえられるようになった様に思います。この頃にはTMSでも「モデルマニア」という言葉は使われなくなっていました。

*7:中野ブロードウェイ4階の「ミックスコーナーみづの」こちらの記事をご参照ください→TMS1968年4月号を読む - 軽便鉄模アンテナ雑記帳

*8:アメリカの鉄道模型メーカー。アメリカのニワモケイだと思えば良いかと…