軽便鉄模アンテナ雑記帳

軽便鉄模アンテナ管理人(うかい)の雑記帳です。ナローゲージ鉄道模型の話題が主

TMS7月号を読む

早いもので6月も半分以上が過ぎ、鉄道模型雑誌の発売日が近づいて参りました。今月はいち早くTMS誌7月号をゲットする事に成功。という訳で皆さんにご紹介したいと思います。
表紙はナローでレイアウトにシェイがたたずむ風景。ページをめくると珊瑚の広告に「SR&RLシリーズ」の告知。サンデーリバーの客車が再販されるのか〜。ピノチオの広告には「自信作・PS13」。1500円とは激安ですね。トミックスの広告は見開きで「新製品・名鉄7000系パノラマカー」…
あれれ、何か変ですね。さらにページをめくって目次を見ると「'81ペーパー車輛コンテストグラフ」とあります。81年って2081年かしら??
…よくよく見てみれば、7月号は7月号でも1981年7月号ではないですか!
という訳で、今からちょうど30年前鉄道模型趣味(TMS)誌1981年7月号(No.403)を見ていきたいと思います。
★まず最初は「チャレンジャー22年ぶりに走る!」という岩倉明氏撮影の見開きグラフ。模型でなく実車で、ヘリコプターからの空撮です。岩倉氏は日本テレビ11PMなどを手掛けていた方で、このグラフの最後にも「日本テレビ11PMでブラウン管に登場する予定」とあります。
★次は「'81ペーパー車輛コンテスト」の入賞作品グラフ。このコンテストは当時西武百貨店「しぐなるはうす」が主催、機芸出版社が後援で行われていたペーパー車体(自作、キット問わず)による作品コンテストで、この年で4回目。金賞のEF30、銀賞のモハ30と名鉄7300、銅賞の定山渓鉄道モハ1000/クハ1110、ジュニア賞のクモニ13、TMS特別賞のC5520(流線形)が掲載。いずれも1/80 16.5mm。このコンテストですが、EF30やC55流線形など、通常ペーパーでは作らない題材に敢えてチャレンジし入賞を勝ち取る猛者がいたのでありました。
当時西武百貨店鉄道模型に力を入れており、池袋店の鉄道模型売り場は「しぐなるはうす」の名前で雑誌広告を出し、オリジナル製品として関水(KATO)に特注したNゲージ西武E851*1やレオコンテナなども発売していたのです。それも今は昔、西武セゾングループは解散し、しぐなるはうす改め西武池袋店鉄道模型売り場の広告もいつの間にか消えましたね。
★車輛作品発表記事は、16番が「C12のひく混合列車」「有蓋電動貨車」「東武63号タイプ」Nゲージ「切接ぎ電車3題」「中央東線115系編成を作る」。C12は発煙・サウンド付きで煙の排出とドラフト音が同調するという凝ったもの。有蓋電動貨車は中村精密の貨車プラキットのワム50000をベースに改造したもの。東武63号タイプはJALCO出羽氏の作でトビー製6200キットをベースに改造しイコライザー組み込み。16番作品はこの頃になると現代の作品と比較しても何ら見劣りの無い作品が多い気がします。Nゲージは切接ぎ電車は池末弘氏、115系は羽田二郎氏の作。お二方の記事はある一定以上の年齢のNゲージャーには懐かしく思えるのでは?
★レイアウトはNモジュールレイアウト・JANTRAKの連載と、これまたモジュール形式のナロー9mm「ロッコー・ナローライン」の2記事が掲載。
JANTRAKはTMS山崎主筆の呼びかけで結成された集合式レイアウトのグループで、1980年代〜90年代にかけて活動。当時東京・二子玉川のいさみやの2階で運転会(非公開)をされており、いさみやの常連だった先輩のコネで一度見学させて頂いた事があります。1994年(平成6年)に解散したそうですが、メンバーのうちの何人かはJMLCを結成され、JAMコンベンションへの出展やTMS誌上での発表で活発に活動されているのは皆さんご存じでしょう。
この号は連載3回目で、大野氏の「化学プラントとライブスティーム」(1800モジュール)と吉田氏の「夕やけの村、台地のある風景」(1350モジュール/コーナーモジュール)が掲載。大野さんは今もJMLCで素晴らしいモジュールを作り続けていますが、30年前のこの作品も今の目で見ても良く出来ています。吉田さんの「夕焼け〜」はシーナリー材料が今ほどに実感的でなかった時代を感じさせますが、背景が夕焼けという思い切った風景は集合式モジュールレイアウトならでは。最近はこういったモジュールでしか出来ない思い切った風景というのが少ないような気もします。
もう一つの「ロッコー・ナローライン」は小西、野村、玉置の三氏による作。「ナローゲージブック2」に再録されていますので、そちらでお読みになった方も多いでしょう。記事では分割式となっていますが、集合式モジュールと考えても良いと思います。三者三様の個性の違いを味わえるのが楽しいところです。発表当時、玉置さんのモジュールに置いてあるバス(神戸市バス)に驚き、「具体的な製作法をよく聞かれますので、またいずれ項をあらためて説明したいと思います」との記述に期待したのですが…。もっとも製作法を拝見したとして、ワタシごときが作れたかどうかは甚だアヤシイのでありますが(苦笑)。
★製品の紹介・特集リポートとして、「パワートラック(天賞堂製品)の使い方」が6ページに渡って掲載。考えてみれば天賞堂パワートラック(花園製造)は既に発売から30年を経過していたのです!。この記事はパワトラを使う方には今でも参考になると思いますが、逆に言えばパワトラという製品が30年間殆どそのままで発売されているという事…そろそろモデルチェンジを望みたいところです。
★この号では第4回TMSレイアウトコンテストの入賞者が発表されています。この当時の応募者の年齢やゲージの割合ですが、

  • TMS賞:30代1名/Nゲージ
  • 推選:50代1名、40代1名/全てNゲージ
  • 入選:40代2名、30代2名、20代4名、10代1名/Nゲージ5名、16.5mmゲージ3名、ナローゲージ1名
  • 佳作:60代1名、40代5名、30代2名、20代1名、10代5名、年齢不明1名/Nゲージ10名、16.5mmゲージ1名、ナローゲージ4名
  • 準佳作:40代2名、30代2名、20代1名、10代1名/全てNゲージ
  • 特別賞:30代1名、20代2名、10代2名/Nゲージ3名、16.5mmゲージ1名、ナローゲージ1名

…という状況。Nゲージが圧倒的に多いのは、もともとレイアウト派だった人が16番からNゲージに移行したものと考えられます。一方でこの頃は10代のモデラーの入賞も多かった事がわかります。
(関連記事)

乗工社の広告では木曽DBT10が新発売、「ディテール加工に耐えるベーシックな構造」とあり、ベースキットで8900円。今の目で見ると相当素朴な感じ。後に90年代になって発売された製品とはまったく別物です。この号の「製品の紹介」にも掲載されていますが、この頃の乗工社製品はまだキャラメルモーター仕様でありました。みのるさんのサイト「庶茂内模型鉄道」に画像が出ていますので興味のある方はご覧あれ。

他に新発売として「オワン型ベンチレーター 10ケ入り \200」「ナロー用パンタグラフ キット \1000」が掲載、また'81鉄模連ショー記念限定製品として東急玉川線デハ200がイラストで掲載。このイラストは「わ」のサインとタッチから、現在はモデルワーゲンの製品イラストでおなじみの松井大和氏の作である事がわかります。
★さて、この号ではどうしても触れておかねばならない記事が一つあります。主筆である山崎喜陽氏による「ミキスト」欄に「まぼろしNゲージ」ことソニー・マイクロトレーンについてのエピソードが現物の写真と合わせて掲載されたのです。
この号のミキストは以下のような書き出しで始まります。

★脱線した車輪が、走っているうちに踏切でもとにもどった、と新聞が報じた国鉄の事故ニュースは、まるで模型のようだ、と思いながら読んだ。

この事故は私も覚えています。踏切の護輪軌条が模型のリレーラー線路の役目を果たしたこの珍事件、「まるで関水のNゲージじゃないか!」とTVニュースに向かってツッコミを入れた記憶があります。関水固定式(アトラスOEM)のリレーラー線路は当時Nゲージャーに親しまれていましたし、後にユニトラック、近年ではTOMIXファイントラックにも踏切型のリレーラー線路がラインナップされているのはご存じの通り。もう一つ、リレーラーといえば車輛を線路に載せる為の用具として、N・HO各社から発売されており、通常「リレーラー」といえばこちらの方を指しますね。
閑話休題、続けて山崎主筆は、車輛を線路に載せる用具であるリレーラーの事をTMSに最初に載せたのは18号であること、天賞堂が発売したプラ製が日本最初の製品であること、そして日本で二番目に商品化されたリレーラーは9ミリゲージ(=Nゲージ)用であることを記されています。
その日本で二番目にリレーラーを商品化したメーカーこそ、ソニー・マイクロトレーンであり、いよいよ本題であるマイクロトレーンと15年前(当時)の日本のNゲージ創世記の話に入るのです。
関水金属(KATO)の加藤祐治氏がTTゲージC50試作品をもってTMS編集部にやってきたので、山崎氏はTTは世界的にみて下り坂である事を説明し、「TTはだめだがNなら応援しよう」と伝え、二ヶ月後に加藤氏がNゲージC50を持って再びやってきた…という日本Nゲージ創世記の重要なエピソードもこのミキストで記されたものです*2

ソニー・マイクロトレーンのセット。
関水がC50とオハ31を設計していたのとほぼ同時期に、Nゲージを製品化しようとしていたメーカーがあり、それが何と電機メーカーのソニーであった事はネット上でもトリビア的に語られていますが、多くの鉄道模型ファンがそれを知ったのはこの号のミキストだった筈。それ以前は断片的に「ソニーNゲージ」の話は出てきても、現物の写真まで含めてまとまって記された事はなかったと記憶します。

五反田にソニー・マイクロトレインという子会社が設立された。会社の主な役員はI氏等で、ヨーロッパ的な鉄道模型の行き方のモデルでなければ日本では広く普及しないという考え方で、ソニーの名前をバックに在来の日本的な真鍮製模型を圧倒しようという意慾にもえていた。I氏は8ミリ映画関係で高名な方であり、私とは別な関係で面識ある医学博士である。

今年になって、「煌きの原点 ホンダの幻・幻のソニー」(岡村宏平著/株式会社イタレリ刊)という本が自費出版され、この中でホンダS360、ソニーのラジオやテレビ、本田宗一郎井深大への生前のインタビューなどと並んで、ソニーマイクロトレーンについて、当時のソニー側関係者にインタビューした結果を元に4ページに渡って記されています。
それによれば、ミキストにて「I氏」とされていた人のお名前は飯倉重常氏。8ミリ映画関係では著書もあり、8ミリ映画専門誌にも度々記事を執筆されていたようです。この方はソニー社長井深大の友人で、株式会社マイクロトレーンの社長に就任したとの事。

一般新聞雑誌にも広告をのせ、有名人のファン執筆によるPR雑誌も出して…という勢いはいま思ってもすさまじいものがあった。そのあと数カ月のことは、書けることはいくらでもあるが、今はまだその時ではない。

「今はまだその時ではない」というおなじみのフレーズが出て、これだけで「キター!」と思ってしまう筈。
なお、ミキストでは「ソニー・マイクロトレイン」と記されていますが、正確には「ソニー・マイクロトレーン」というのが正しい商品名の様です。また会社名も「ソニー・マイクロトレイン」ではなく、「株式会社マイクロトレーン」(ソニーは付かない)というのが正しい模様。1997年に出た「鉄道模型考古学N」(ネコ・パブリッシング刊)のグラフページの説明によれば、商号は株式会社マイクロトレーン、設立は昭和39年8月13日、設立者は加藤利郎氏ほか4名、本店は東京・神田美土代町、工場は五反田、昭和40年10月29日第二回定時株主総会で解散決議…との事。五反田にはマイクロトレーン社の事業所として使われていた建物が50年近く経った今も残っています。先輩方などから聞く噂によれば、どうも飯倉氏や加藤氏がソニーにNゲージ製造を持ちかけた…という事のようです。

▲五反田のビル街の一角に残るマイクロトレーン社の事業所だった建物。「ホンダの幻・幻のソニー」によれば、1Fが工場?、2Fが事務所だったとの事
さて、「いま思ってもすさまじい」勢いであったソニーマイクロトレーンがどういう末路をたどったかは、皆さん良くご存じの事でしょう。中止の理由は諸説ありますが(このミキストでは『また聞きの話では「日本では時期尚早」という本社社長の判断』と記しています)、結局一般に発売される事なく、ソニーの公式な社史にも記されず、「まぼろしのNゲージ」となったのであります。

★あれから15年、ソニーの型を使って某電機会社がNを始めるとか、いろいろなうわさがあった。とにかく現在では、リレーラーがそのままの形で或るメーカーのリレーラーとなっているのを知る人は少ない。いろいろな裏話があるのだろうが、リレーラーだけが再びレールにのったわけである。

このリレーラーは関水金属(KATO)製品であった事は、後にRM誌連載の「鉄道模型考古学N」でソニーマイクロトレーンが掲載された際に説明されていますし、2005年に「Nゲージ生誕40周年特別企画講演会」関水金属の加藤祐治氏が、ソニーマイクロトレーンの金型を壊す際に立ち会っていた事、「せっかくだから何かひとつぐらいは記念に残してやろう」とリレーラーの金型を持ち帰り、ソニーの文字を削って自社のリレーラーにした事を語られています(RM MODELS誌2005年11月号「Nゲージ開発物語」にて掲載)*3
最後に昭和43年、花巻電鉄の駅のそばの電器店のショーウィンドウに景品としてマイクロトレーンの箱がかざられていた話で、この号のミキストは締めくくられています。ソニーの名のもとに華々しく日本の模型界に登場する筈だったマイクロトレーンの悲しい末路を感じさせる光景です。
ミキスト」はTMS創刊より何十年にも渡って掲載されましたが、この号のミキストはその内容、そして文章のテンポや構成の秀逸さ、さらにはお約束の「今はまだ〜」も出てくる事で、個人的には記憶に残る1本なのですが、皆さんいかがでしょうか?
★まだまだいろいろ書きたい事があるのですが、今はまだその時ではない…ではなくて、30年後の最新の7月号を読まなければなりませんので、そろそろお開きとさせていただきます。

(2011/06/19追記)

★「庶茂内・雑記」にて、みのるさんが乗工社のDBT10、KATO/西武百貨店のE851とレオコンテナ、さらに今回書きませんでしたが、このTMS1981年7月号製品紹介に掲載されているバンブー商会のサウンドシステムやトミックスのNゲージEF64-1000の現物を紹介して下さっております。

ブックケースに入ったE851とレオコンテナのセット、ブックケースのインサート右上が「KATO」じゃなくて「SEIBU」になっているのですね。
★「日々是工日〜ナロー&トラクション・モデリング」にて、Taddieさんが1967年に神田の科学教材社でソニーマイクロトレーンが売られていたのを目撃し、ご友人がそれを購入したという貴重な体験談を書かれています。

ところで新たな謎として、「再びレールにのった」ソニー→関水のリレーラーはいつ発売だったのでしょうか? もしこの時点で関水からリレーラーが発売されていれば気が付く筈ですし…
ソニーマイクロトレーンの現物を見たいという方、東京近辺であれば、西荻窪のナカマ模型のショーケースの中にお客さんが所蔵されている品が展示されています。

(2012/04/20追記)

銀座ソニービルにて2012年4月24日〜5月20日の期間に開催される「ソニーきかんしゃトーマスのネットワーク体験島」というイベントにて、ソニーマイクロトレーンが展示されるとの事。
イベント公式Webページによると

※多方面から見たり撮影できるよう、展示物は分割してアクリルケースに展示します。
※また展示では見づらい細部や車体内部は拡大しパネル化します。

とあり、ソニーマイクロトレーンを仔細に見る事が出来るまたとないチャンスのようです。

*1:KATO自身が近年発売されたものとは別物。ベテランNゲージャーならご存知の通り、当時の関水EF65の動力装置を使っていますが、車体や台車は新たに金型を起こしていました。もっとも思った程に売れなかったらしく、80年代後半には西武ライオンズが優勝する度に半額以下でセールされていたのであります。その後90年代に入ってからはお宝品となって一時期相当なプレミアムが付いていましたが…

*2:関水9ミリ発売直後のTMSでも明らかにされていましたが

*3:なお、現在販売されているKATO製品のリレーラーは、80年代にユニトラックに合わせて新たに作られたリレーラーであり、ソニーマイクロトレーンの金型を流用した初代リレーラーとは異なります。