軽便鉄模アンテナ雑記帳

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コッペル祭り前夜祭(2)・伝説の「和久田コッペル」


コッペル祭り・(勝手に)前夜祭その2は、日本のナロー模型作品の歴史の上で忘れる事の出来ない名作、今から半世紀前に製作された、和久田恵一氏による「コッペルタイプBタンク」…通称「和久田コッペル」についてご紹介いたしましょう。
名古屋で開催されたコンクールでTMS特別賞を受賞し、鉄道模型趣味(TMS)誌1962年12月号(174号)に掲載されたフルスクラッチビルドの作品ですが、この記事はインパクトが大きかった為か、1976年に発行された「ナローゲージモデリング」にも再録されており、そちらでお読みになった方も多い筈。
★この和久田コッペル、スケールは1/80、ゲージは9.5ミリ。日本でNゲージが発売されるより前に製作された為、762mmを1/80で割った9.5ミリゲージで製作されています。
この頃は製品として発売されている最小のスケール/ゲージはNゲージではなくTTゲージ(1/120・12ミリ)であり*1、さらにそれより狭い軌間として、アメリカ型ナローのHOn3が採用する10.5ミリゲージが存在しました。この頃、HOクラスの大きさのナローを日本で手掛けていたファンはアメリカのHOn3ゲージに合わせて10.5mmゲージを使う事が大半で、和久田さんがコッペル以前に自作されたナロー作品も10.5ミリでしたし、高井薫平氏(なめとこ軌道)や赤井哲朗氏(ちょうせい軌道)といったナローの先達の方々も1/76〜1/80・10.5ミリゲージで軽便車輛を自作されていました(この時代にTMS誌に発表された創世記のナロー作品の記事は「変わった車輛30題」に再録されています)。但し、この時代にはHOn3用部品などは一般には手に入れる事は困難でした。アメリカ向けのHOn3ブラスモデルは日本の模型店やメーカーで下請製造されていましたが、そういった製品やそれに使われているパーツは、製造関係者かよほどコネのあるの常連でない限り、入手する事は出来なかったのです。
★さて、話が長くなってしまいましたが、要点をまとめると、この時代には…
1)Nゲージなんて売っていない
2)HOn3の部品なんて事実上入手できない(もちろん日本型9ミリナローの部品なんてある訳ない)
さらにもうひとつ、
3)小型のモーターなんて存在しない
…という、ないない尽くしの時代だったのです。
特に3)のモーターの問題は深刻であり、ナローはおろか16番でさえ、小型機の場合はモーターを如何に納めるかで頭を悩ます時代でした。どうやって和久田さんが解決したかというと、16番電車によく使われていたカツミ製縦型モーターDV-18Bを削って幅を狭くし、さらにブラシ周りを改造してサイドタンクとキャブの中に入る形にし、納めたのです。それ故にサイドタンクのある井笠コッペルがプロトタイプに選定されたのでありましょう*2(昔の縦型モーターをご存じない世代の方にはピンと来ないかと思いますが…)。マブチのキャラメルモーター*3が出回るようになるのは1965年頃から、関水のミゼットモーターが1967〜8年頃、キドマイティが登場したのはずっと遅れて1980年頃。NゲージやZゲージが普通に売られている現代では想像もつかないでしょうが、とにかくナローの機関車や16番の小型機にとってモーターは泣き所だったのです*4
★モーターだけではなく、動輪も自作同然。16番用φ7.5mmの車輪を薄く削って2mm厚にし、クランクとロッドピンとバランスウェイトを取り付け、さらには改軌したというもの。ロッドやバルブギヤーは現在の目で見ても良い出来ですが、「細い直径のドリルがないので、すべてケガキ針の先であけました」とあっさり書いてあります。いやはや脱帽であります。現代の模型雑誌に発表される工作機械や特殊工具をバリバリに使いまくった作品の発表記事を読むよりも、ずっと「やる気になる」ような気がするのですが、如何でしょうか? 事実、この記事を参考にコッペルBタンクを自作されたファイトあるモデラーも複数おられた様で、「ナローゲージモデリング」に収録されている森長平氏の作品や、さーくる軽/87分署の大久保氏の作品(記事としては発表されていないが、「ナローゲージモデリング」発表のジオラマの記事の写真に写っており、後にダックスストーリーで廃車体として登場)、小林信夫氏がバックマンドックサイド下回りを使って作られた作品(TMS1990年6月号)などが記憶に残っています。そうそう、こういう少年もいたのでありますよ→作業部日誌V3 ウチの1号機ものがたり【2】 
★パーツやモーターの話ばかりになってしまいましたが、和久田コッペルは今の目で見てもカッチリとした出来で、しかもコッペルの雰囲気を巧みにとらえた作品になっています。むしろ実物の井笠コッペルよりも格好良い位ですが、和久田さんは実物を取材して作られた訳ではなく、TMS記事には「図面は簡単な寸法を基として引きました」「細部の寸法は2枚の写真より割り出しましたが、下部は写真が2枚共暗くてはっきりしませんので、コッペル製の他のタンクロコの写真を参考にしました」と書かれています。それでいてこんなに良いプロポーションの模型が作れてしまうのですから、そのセンスと観察眼にも脱帽であります。
この時代は実物の軽便はまだあちこちに残存していましたが、雑誌や書籍に鮮明な写真や図面が載っている訳でもなかったのです*5。「軽便追想」の高井薫平氏や「軽便探訪」の新井清彦氏が全国の軽便鉄道をカメラ片手に回られたのも鉄道模型を作る為の資料集めだったそうですし、実は実物ファンや研究家として高名な方の中には、そもそもナローや地方私鉄の鉄道模型の資料として取材・研究し始めたのがキッカケという方が意外に多いのです。つまり、機関車を自作する以前に、その機関車を作る為の資料ですら自ら取材しなければならなかった…という事です。そして、新幹線や高速道路が全国に張り巡らされ、ネットで簡単に情報交換が出来、小学生のお年玉でデジカメが買える(しかも現像代はタダ)現在とは異なり、実物を取材するのにも少なからぬ時間と手間、費用が掛った時代だったのであります。
★このコッペルが作られたのは約50年前(!)ですが、実は和久田さんがこの作品を作られたのは19歳の時だったそうです。コンさんは「若いうちに修行をして」と書かれておられますが、経験がなくても、修行しなくても、いきなり凄い物を作れてしまう天才型モデラーというのは昔からしばしば存在しているように感じます。モデラーというのは大別すると「天才・秀才・バカ」*6…じゃなくて「天才・秀才・凡才」の三つに分類でき、和久田さんは天才型、コンさんは秀才型モデラーであると思う訳です。
★HOナローのコッペルを自作せずとも手にいれる事が出来るようになったのは、この記事から掲載されてから12年後の1975年のこと。「ダックスストーリー」を手掛けた87分署のメンバーが中心となって設立した「乗工社」が初回製品としてコッペルBタンクを発売し、ようやくナロー9ミリのコッペルを製品として入手できるようになったのです。
その後、コッペルの模型製品はいろいろと発売され、一家に一台…とは言わぬものの、多くのナローゲージャーがキットを組み立てたり、レイアウトで走らせたりして楽しんでいるのはご承知の通り。ネットで一声掛けるだけで全国からコッペルの模型が大集合するなんて、和久田さんがコツコツ自作された半世紀前には信じられない話でありましょう。さらにはHOナローはおろか、Nナローのコッペルでさえ発売されようとしているのです。レイアウトを夢見ながらも、一から自作しなければならなかった先人たちの時代からすると、現代は夢のような時代であるのかもしれません。
★ところでオノデラさんがツイッターで以下のようなつぶやきをされていますが、何で「井笠コッペル、お持ちください!!」なんでしょうね? 「ご褒美サプライズが!!!」とありますが、サプライズって何なのでしょうか? 当日会場に行けば分かるのでしょうか??

*1:TTゲージはヨーロッパ製品が輸入されて一部の店で売られていました。日本型のTTゲージ製品は存在しておらず、一部のファンが自作した作品がTMS誌に発表されていた程度。関水金属Nゲージを発売するのは1965年の事ですが、当初に手作りで試作したというC50はNゲージではなくTTゲージであった話は一部では有名。ちなみにNゲージは1962年時点では英ロンスターやアーノルトが製品を発売し始めたばかりで、「Nゲージ」という名称すら定まっていませんでした。

*2:この方法はつぼみ堂の16番BタンクやエンドウのB20も採用していましたが、モーターは加工しないで使っているので当然の事ながら和久田コッペルほど小さくはありませんでした。

*3:マブチのキャラメルモーターは本来鉄道模型用でなく、当時ブームであったスロットレーシングカー用(1/24ではなく家庭用のHOスロットレーシング用)として開発されたもの。スロットレーシング自体がファンの盛り上がりではなく、業界主導によるブームであった様で、マブチモーターはその一員でもあったのです。1/24スロットレーシング用のFT-16やFT-36も多くの製品で用いられていました。

*4:さらに言うなら、当時のこの手の小型モーターは高回転・低トルクであり、その一方でモジュールの細かいギアが入手できる時代でもなかった(和久田コッペルに使われた天賞堂の13:1ウォームギアが当時入手可能な最小のギア)だった為、たとえモーターを格納出来ても満足のいく走りを実現する事が難しかったようです。キャラメルモーターが入手できるようになった後に製作された「ナローゲージモデリング」に収録のけむりプロの木曽ボールドウィンやさーくる軽の南軽サドルタンクがテールヘビー覚悟で巨大なカツミDV-130を無理やり納めているのも、満足いく走りを求めての事だったと推察されます。

*5:この当時の鉄道ピクトリアル誌などは写真の印刷が非常によろしくなく、不鮮明でありました。今のピク誌は写真も非常に綺麗になり、カラーページも多くなっていますが、往時のピクを知る人の中には「今のピクはピクとは思えない」との感想も…(もちろん褒め言葉ですよ!)

*6:念のため説明しておくと「天才・秀才・バカ」というのは谷村新司が深夜放送でやっていたコーナー。「バカとはなんだ!」とかあんまり本気にしないように…