軽便鉄模アンテナ雑記帳

軽便鉄模アンテナ管理人の雑記帳です。ナローゲージ鉄道模型の話題が主

TMS1965年2月号を読む(後編)


前編の続き)
さて、今からちょうど50年前、1965(昭和40)年2月の鉄道模型趣味(TMS)誌200号には、我々ナローゲージャーにとって興味深い記事、そしてNゲージャーにとって興味深い広告が掲載されているのです。

2つの9ミリの誕生…「N」と「n」

★この号の前号である1965年1月号(199号)に「1965年から始まる9mmゲージ」という見出しの関水金属(今のKATO)の広告が掲載。これにより日本初のNゲージ製品の発売予定が一般に公になりました*1。このNゲージ史上記念すべき広告は「新・鉄道模型考古学N 2」(ネコパブリッシング刊)に再録されているので、そこでご覧になった方も多いでしょう*2

新・鉄道模型考古学N 2 (NEKO MOOK 1317 RM MODELS ARCHIVE)

新・鉄道模型考古学N 2 (NEKO MOOK 1317 RM MODELS ARCHIVE)

この2月号の関水金属の広告は「機関車はC50 客車はオハ31系」の見出しで、C50とオハ31の試作品の写真がはじめて掲載されたのです*3。関水製品が実際に発売になったのはこの年の秋頃の様ですが、今年2015年は日本のNゲージ50周年の記念すべき年なのです。
★そしてこの号では、Nゲージではないもう一つの軌間9mmの鉄道模型の誕生が記事の中で紹介されています。

その記事はTMS編集部の赤井哲朗氏による「ナローゲージ散策」という解説記事。サブタイトルとして「陽の光があたりはじめた日本のナローゲージモデルとその周辺」とあり、記事の冒頭では以下のように記されています。

十年ひと昔というが「ナローゲージモデルについて」を書いたのはTMS57号であった。
(中略)
十年以上たった現在、特にごく最近になって、ナローゲージに関しても、内外模型界の情勢はかなり変わった。そこで、多少は雑談めくが、ナローについてペンを進めてみよう。

文中に触れられているTMS57号…1953(昭和28)年5月号の「ナローゲージモデルについて」ですが、おそらく日本の模型雑誌でナローゲージモデルについて解説した初めての文章と思われ、後にTMS特集シリーズ「高級モデルノート」に再録。また赤井氏は1969(昭和44)年10月号(通巻256号)のナロー小特集にて「ナロー製品の普及と現状など」と題した解説記事を執筆。こちらも後に「ナローゲージモデリング」に追補の上再録されています。それに大してこの200号の記事は特集シリーズや単行本には再録はされていませんので、よほどのベテランナローゲージャーか、古本好きしか読んだ事はない記事かと思います。

昨年、山崎主筆と西ドイツの鉄道模型誌 Miniatur-bahnen を見ていて、9mmゲージをNと呼んでいるのを発見した時、ナローファンとしての筆者は腹の中で思わずニヤリとほくそえんだものである。ミキストにあるとおり、Nは9mmの9を表わしているのだが、ナローファンにとって、それは nine でも neuf でも neun でも nove でもなく、narrowに通じてしまう。3.5mm×2.5=8.75mm≒9mmという計算から、HOn2 1/2ゲージにこのパーツが利用できるわけである。これをそのまま具体化したEgger製品の軽便鉄道の一式が、堂々と日本のデパートの店頭に並んだし、先号の広告で御承知の通り、日本製のすぐれた9mmモデルが市場に姿を現わすのも間近い。かくて、2呎6吋のプロトタイプをHOで模型化する絶好のチャンスが到来したのである。

今でこそNゲージという呼称がすっかり定着していますが、日本でその名前が定着したのは1970年代末*4。それまでは「9mmゲージ」と呼ばれていました。40代後半以上のベテランの人の中にはNゲージの事を「9ミリ」と呼ぶ人がたまにいるのはそのせいです。

エガーバーン上陸

赤井氏が書かれている「Egger製品の軽便鉄道の一式」とは、かの有名なエガーバーン製品の事。エガーバーンは1963年のニュルンベルグメッセで発表され、TMS誌では1964年6月号のミキスト欄で西独MIBA誌のニュルンベルグメッセレポートからの紹介で「762mmゲージを1/87とした9mmゲージの森林鉄道(エッゲル製品)の小さなBタンクなど」と一言報じられています*5。日本でも1964年の後半には輸入され、デパートの模型売り場で販売されていた様です*6。この記事ではL型ディーゼルの初代1号機*7とトロッコが写真で紹介。「日本にも機関車・貨車(2種)・線路・パワーパックが入荷」「続いてコッペル型のBタンクやポイントなども製造されている」「(L型機の)デパートでの売価は3700円」とあります。

当時の3700円というのはどの位の感覚だったのか、同じ号の広告を見ると、日東科学教材のシングルドライバー豆タンクロコがモーター別キットで550円。天賞堂のDD13がキット3900円/完成品4800円。トビーの4030タンク機関車がキット2750円/完成3550円。天賞堂Cタンク(ダイキャスト製)がキット2000円/完成品2200円。カツミのBタンクがキット1600円/完成品2100円(ちなみにこの当時の「キット」というのは今のようなバラキットではなく、半田付けはされていてドライバーがあれば組み立てられるキットです)。こうして見ると、当時のエガーバーンはプラ製とはいえ決して安い製品ではなかった事が解ります。

昭和の「黒石」事情

続いて赤井氏はこう記しています。

どんなゲージでも同じだが、ある程度普及するのに必要最小限の既製品は線路と車輪(車軸)であろう。この入手ルートがすべてのファンに開けた時、そのゲージは発展する可能性を持つ。
(中略)
ここにHOn3用のフレキシブル線路及び4番ポイントの発売を、ナローファンにお知らせする時が、とうとうやってきた。

日本のナローは9mmが主流になる前は10.5mmだったという認識を持たれている方もいるでしょう。確かにTMS誌上では高井薫平氏の「なめとこ軌道」、赤井氏の「ちょうせい軌道ガキ1」など10.5mmナロー作品が発表されていましたが、実際それらが発表された昭和30年代には、10.5ミリゲージの部品なんぞ一般には入手できなかったのです。アメリカ輸出向けのHOn3製品は日本で生産されていましたが、コネのない一般のファンにはそれらの製品や部品を入手する事は不可能。つまり、雑誌に発表されていた10.5mmゲージ作品は、何らかのコネがあって部品が入手できたか、あるいは車輪は自分で車軸を削って改軌、線路はハンドスパイクというものであったのです。この記事の発表された前後に篠原のHOn3線路の発売、輸出向けHOn3完成品や台車・車輪の正式な国内向け発売がなされ、「入手ルートがすべてのファンに開けた」のであります。
つまり、一般のファンにとっては、10.5mmナローと9mmナローは昭和40年頃、ほぼ同時に「出来るようになった」とみなすのが正しいと思います。

ナローのスケール・ゲージの考察

★赤井氏は9ミリナローと10.5ミリナローに触れた後、16番ゲージと共存しうるナローのスケール・ゲージの考察。日本のナローファンが採用できるゲージの紹介を書かれています。

筆者は、16番において日本型をスタンダードゲージ(4呎8 1/2吋)なみに扱ったのは、たとえ3呎6吋ゲージであっても、これが日本のメインラインであり、車輌のスタイルもナロー的ではないから、これでよいという考え方をもっている。だから、同じ3呎6吋でも、それが支線の鉄道で、ナロー然としたスタイルならHOn3 1/2(軌間12mm強となりTTの線路などが使える)でいくべきだと思う。同様に、ナローといっても、3呎のナローと2呎6吋のナローとで明らかにムードが違うなら、HOn3とn2 1/2を両立しなくてはならないと思うのである。そして又、ナローはメインラインとは違う特殊な立場にあるから、なおさら無理に統一する必要はないのではないかと思う

HOn3 1/2…すなわち1/87 12mmの可能性が模型誌上に記されたのは、実はこれが初めてだったのではないか?と思います。
また「ナローはメインラインとは違う特殊な立場」というのも、ある程度ナローをやっている人なら何となく感じているし、何となく判るところでしょう(別に特殊な立場だからエライという訳ではありません。念のため)
よく考えてみれば、TMS誌のゲージの話についての記事は、メインライン…すなわち16番や13mm、12mm関連の話の場合は山崎主筆が書くけれども、ナロー関連については赤井哲朗氏が書かれる事が大半だったと思います。今にして思えば、敢えてそうしていたのではないか?とも思います。
★「日本のナローファンが採用できるゲージ」については、HOn2 1/2(1/87・9mm)、HOn3(1/87 10.5mm)、On2 1/2(1/43.5〜48 16.5mm)の他、OOn2 1/2(1/76 10.5mm)、そしてTTの線路を利用するOOn3(1/76 12mm)*8、Sn2 1/2(1/64・12mm)も並べられています。この当時、TTゲージはヨーロッパ製品が輸入され、線路関連を含めて国内でもそれなりに販売されていたとの事ですし、関水金属も当初はNゲージではなくTTゲージの製品化を考えていたとのエピソードもあります。生まれたばかりのNゲージの9ミリや、ようやく国内でも正規ルートで入手できるようになったHOn3の10.5ミリよりも、この時点ではTTの12ミリは身近だった(あるいは入手可能性が高かった)という事かもしれません。
ちなみに、この時点ではエガーバーンと対米輸出用HOn3製品のおこぼれ以外のナローゲージ製品は国内には存在しませんでした。「採用できるゲージ」といっても日本型の既製品があるという事ではありません。念のため。

昭和40年は「ナロー鉄模元年」だった

★さて「ナローゲージ散策」について引用しつつご紹介しましたが、思うに今から50年前の昭和40年というのは、日本のNゲージのみならず、日本のナローゲージモデルにとっても「元年」だったのかもしれません。そしてそれ以前は「紀元前」だと考えるのが妥当でしょう。角倉氏のOナローイプシロン鉄道や高井氏の10.5mmなめとこ軌道、和久田氏の1/80 9.5mmコッペルなどの優れた作品はありましたが、この当時ナロー鉄道模型にチャレンジできたのは一部の先鋭的な方であり、一般のモデラーには限りなく敷居が高いものであった筈。それが国産Nゲージの登場とエガーバーンという黒船により状況が変わり「元年」が訪れた。そしてそれを日本の模型人に知らせようとしたのが赤井哲朗氏のこの記事であったと思う次第であります。
(おわり)

関連する記事

*1:関水Nゲージと前後してソニーマイクロトレーンが計画され、量産試作品も生産されましたが、結果的に発売されず幻となったのはよく知られている通り。

*2:この本では関水初の広告の他に、1960年代から1980年代にかけてのNゲージメーカー各社がTMS誌に出した広告を機芸出版社の協力を得て再録しており、一見の価値があります

*3:C50とオハ31共に初代で、現行製品とはまったく別の設計の製品です

*4:TMS誌で「Nゲージ」の表記に統一されたのは増刊「プレイモデル」あたりからです。

*5:今ではインターネットで現地からのレポートをリアルタイプで見る事が出来ますし、日本の雑誌にも写真入りレポートが掲載されたりしますが、この当時はそのような事は到底無理な時代でした

*6:この当時のデパートの模型売り場は外国製品を扱っている事が多かったのです。

*7:エガーバーン1号機には2種類があり、初代は1軸駆動で前側のオーバーハングが短く、二代目は他のエガーバーン機関車同様の2軸駆動で、前後のオーバーハングが同じ長さ

*8:イギリスではアイルランドの3フィートナローを模型化するのに用いられている。またOO9…1/76 9mmが出現するまではTTゲージ下回り利用のOOn3はそれなりに使われていたようだが、エガーバーンとNゲージ登場によりOO9が主流となりすたれた模様