軽便鉄模アンテナ雑記帳

軽便鉄模アンテナ管理人(うかい)の雑記帳です。ナローゲージ鉄道模型の話題が主

日本型ナローレイアウトの時代設定

★先日飲み会の席で「何で日本のナローレイアウトには軽便全盛期ではなく、末期の1960年代が時代設定のものが多いのか?」という話題になりました。
元々はどなたかがブログで話題にされていたそうなのですが(どなただったかは失念…。申し訳ありません)、確かに不思議に思えなくもありません。日本に於いて2フィート6インチ(762mm)軌間のいわゆる軽便鉄道が全盛だったのは距離数からすれば戦前ですよね。というわけで自分なりに考えてみました。

  • 戦前〜戦時中の苦しい記憶(実際に経験してはいなくても、親の世代から聞かされている)があるが故に、あまり気乗りがしない
  • 戦前の鉄道は蒸機は黒、客車(気動車・電車も含む)は茶色と単色で、戦後のようなカラフルさが無い。
  • 「陸蒸気からひかりまで」ではないですが、やはり東海道新幹線開業の昭和39年=1964年が日本の鉄道の頂点であり黄金時代であったから。
  • ナローゲージレイアウトの嚆矢・「祖師谷軽便鉄道」は製作当時(昭和40年)の現代、もしくは少々前位の感じでした。その作品に影響を受けて作られた後続の作品もその位の年代設定(と思える風景)になった。これは国鉄ローカル線を題材とした「摂津鉄道」や「雲竜寺鉄道」、非電化私鉄を題材とした「城新鉄道」と、そのフォロアーにも当てはまります。
  • 本当の全盛期の姿を見た人は限られており、記録も少ない。けむりプロや87分署といった先輩方(昭和10〜20年代生まれ)の方々でも、見る事が出来たのは末期の姿。多くの現代人が「これが軽便だ」と思い浮かべる姿がその位の年代のもの

★ところで「戦前〜戦時中の苦しい記憶」とか書きましたが、戦前生まれの方々から、戦争が泥沼化する以前の昭和初期を懐かしむ話を聞く事があります。この戦前のひとときの平和な時代を時代設定にしているのが(レイアウトは存在しないですが)「玉軌道」(ナローゲージブック1参照)です。これは作者の片野さんが戦前生まれである事も影響しているかと思います。先日の軽便鉄模アンケートの結果が示す通り、日本のナローゲージャーの多くは40〜50代で昭和30〜40年代生まれで、片野さんの世代からは一回り以上下。もし日本でナローゲージ製品がもっと早くに発売され普及していたら、玉軌道のような設定のレイアウトがかなり出現していたのでは?とも思います。
★そもそも、多くの日本型レイアウトの時代設定は1960年代の様に見えて、実はそうではないんじゃないか?と思うのでありますよ。1960年代に蒸気機関車が現役で走っていた軽便鉄道がどれほどあるでしょうか? 実は除雪用や予備機として残った物(例えば尾小屋の5号機)はあれど、現役かつ主力として使われていたのは東洋活性白土の2号機位ではないでしょうか? 国鉄では蒸気機関車は1960年代にもまだまだ多数使われており、全廃されたのは1975年でしたが、ナローの軽便鉄道ではかなり早い時期にディーゼル機関車ディーゼルカーに置き換えられているのです。それなのに皆さんのナローレイアウトでは蒸気機関車がわんさかわんさか走っている様な気が…。

★かつて、「けむりプロ」の皆さんはGood Old Daysの物語として「南部軽便鉄道」を創作されました。しかし後の世代にしてみれば、1960年代や70年代ですら、Good Old Daysなのでありますよ。そろそろ1980年代だって「あの頃は良かった…。下津井もまだ走っていたし」と言われるようになる筈。事実、軽便祭に展示され注目された磯野さんの「むかし下津井軽便鉄道」は時代設定を昭和50年代〜平成1ケタとしています。今後は若手の方を中心に「年号が平成に変わるころ、かろうじて残っていた…」というような設定のレイアウトが増えてくるのではないかと思います。
いつだって、過ぎ去ったムカシは美しいのであります。