軽便鉄模アンテナ雑記帳

軽便鉄模アンテナ管理人(うかい)の雑記帳です。ナローゲージ鉄道模型の話題が主

Nゲージ生誕50周年特別展示


鉄道模型コンテスト」にて「Nゲージ生誕50周年特別展示」及び講演会が行われると知り、ビックサイトまで見に行ってきました。

鉄道模型コンテストの一角にて、パネル展示及びNゲージ初期製品(関水-KATO製品のみならず、ソニーマイクロトレーンや初期アーノルトなども)の展示。さらにはNゲージ創世期製品の研究家である大田治彦氏による講演と、関水金属OBによるトークショーという内容でした。


▲加藤金属時代の広告。

★パネル展示では関水金属の前身、加藤金属の時代の事がパネル1枚を費やして紹介されていたのが目を引きました。KATOのカタログなどの年表では、昭和32年関水金属彫工社の設立からしか記されておらず、オールド16番ゲージャーの間で伝説化していた「加藤の台車」の加藤金属時代の事が殆ど語られてこなかったきらいがあります。
近年では丁度10年前に開催された「Nゲージ生誕40周年特別企画講演会」にて加藤祐治会長が語られたのがほぼ唯一だと思いますが(その内容はRM MODELS 2005年11月号に収録されています)、今回、KATO後援のイベントでパネル展示されたという事で、KATOの正史に加えられたと言っても良いでしょう。

★展示された初期製品は大田氏のコレクションの様ですが、KATO本社も所蔵していないと思しき物も多く、さらにはソニーマイクロトレーンのポイントなどというレアなもの(おそらく本邦初公開)までありました。

ソニーマイクロトレーンのポイント。今までポイントの生産にまでは行きつかなかったと思われていましたが、こうして存在していたのです。

▲左の薄茶の枕木のポイントは、最初に発売された通称「茶枕木線路」。後のアトラスOEMの黒枕木線路とは規格や寸法は異なり、レールも80番ではなく70番。右の黒枕木のポイントはアトラスOEMに切り替わったごく初期のものでしょうか?コメント欄で解説頂きましたので、そちらをご覧ください。

▲関水の初期線路製品のパッケージ。KATO自身も茶枕木時代の線路製品は所蔵していないのでは?(ホビセンでも展示されていない)。薄緑の箱が昭和40年発売当時のパッケージの模様

▲C50の図面。「QC50」とありますが、Qは「9mm」からきているのでしょう。当時はまだNゲージという呼称は存在せず、9mmゲージと呼ばれていました。

トークショーはRM名取編集長が司会を務め、前相談役と現相談役に関水金属創業〜Nゲージ創世期の話を聞くというもの。加藤金属から独立し関水金属が設立された当初は社員数2〜3名の家族経営であったこと、会長は車やオートバイも好きで、初期の社屋の写真に写り込んでいるヤマハのオートバイやトヨペットコロナは会長の愛車であること、関水初期には天賞堂やカツミ、輸出メーカーであったアカネなどからドロップパーツの製造を請け負っていた事、HOゲージではなく、何か新しいものをやろう!という会長の意志で、TTゲージを手掛けようとした事などの話が語られました。
★名取編集長の「加藤会長はマイクロトレーンの動きを知っていたのか?」という問いに対し、相談役は「最初は知らなかったが、(Nゲージを)やりはじめた頃、出版社や関係の方から聞いて知った」との答え。出版社というのは当然TMS編集部の事であり、マイクロトレーン社と接触はあった様ですが、「関係の方」というのが気になりますね。
加藤祐治氏がソニーマイクロトレーンの金型処分に立ち会った事、そしてリレーラーの金型を譲り受け、それが関水のリレーラーとして発売された事は、上で記したNゲージ生誕40周年講演会で証言されていますが、もしかするとマイクロトレーン側の関係者との直接接触や何らかの繋がりがあったという事でしょうか?

★C50とオハ31に続いて関水が発売したのが103系電車。この製品、今でも車体の金型はそのまま使われて売られていますが、印象把握もよく、モールドもシャープ。但し最初の製品は車体はプラの成型色で未塗装。当時の関水には塗装機械が無かったそうですが、成型色そのままなのが売れない原因では?という話になり、成型色はグレーに統一し、その上から塗装するように改めたとの事。

103系初期製品。カラーバリエーションが4色ありますが、車体は成型色未塗装車体色が成型色or塗装かどうかについては、コメント欄で解説頂きましたのでそちらをご覧ください。

103系初期製品の動力装置。後のものとはまったく異なります。
★続いて名取編集長からは「C50は売れなかったという話を聞くが…」との突っ込み。相談役によれば、C50を問屋に持っていったら「こんなもの売れるか」との反応だったとの事。そのような状況下でアメリカのディーラーから輸出向け製品の話があり、対米輸出用製品としてPA-1を開発、「これでうまく商売が軌道に乗った」そうです。

▲1968年に発売されたPA-1。50年近く前の製品だが、今の目でみても良く出来ています。
★実はこのPA-1で、のちの製品につながる基本的構造…ダイキャストブロックやカップギア…が確立し、これが国内向けのEF70改良製品やEF65(台車がEF70と共用だった時代のもの)にも反映されます。この時点で関水Nゲージ製品の構造が確立し、安定した性能を得たと思って良いでしょう。
この製品は発売当時に鉄道模型趣味(TMS)誌1968年4月号にて2ページを費やして詳細に紹介されており、「すべての鉄道模型製品がせめてこの半分でも”考えられた”製品であるなら、ファンの楽しみが又ふえることであろう」と評されていますが、「せめてこの半分でも」という表現から、この製品が当時としてはずば抜けていた事が解ります。

▲創世記の海外Nゲージ製品。真ん中の赤い機関車は1960年に発売されたアーノルトラピードの最初の製品ですが、ゲージ9mmなれど縮尺1/200。この後、1962年に縮尺1/160に変更となったとの事。関水製品と比べると玩具感が否めず…
★今回展示されたNゲージ初期製品については、RM MODELS誌最新号(2015年9月号)の大田治彦氏の記事「KATO Nゲージ生誕50周年 ―生誕間もない“Nゲージ”を振り返る」にて紹介されていますので、興味を持たれた方がご覧になる事をお勧めします。また、今回のパネル展示やトークショーについても、RMM誌で掲載していただければ…と思う次第であります。

★そうそう、鉄道模型コンテストのメインは高校生の皆さんのモジュールレイアウトの展示とコンテストですが、これらについては、あちこちで取り上げられると思うので、それらをご覧ください。
というか、展示物の周囲に出展者高校生が群がっていて、せっかくの展示物が見にくい状態。主催者や学校関係者の皆さんは少々考えた方が良いのではないでしょうか?
(2022/8/31追記)この時の講演・トークショーの内容は「KATO Nゲージ生誕50周年記念誌」に収録されています。Nゲージ創世記に興味のある方は必見の内容ですので、ご覧になることをお勧めします。
www.katomodels.com