軽便鉄模アンテナ雑記帳

軽便鉄模アンテナ管理人(うかい)の雑記帳です。ナローゲージ鉄道模型の話題が主

とれいん1999年9月号を読む

★JAMが終わった後、仕事が忙しかったりして、買ってきた鉄模雑誌各誌の9月号もちゃんと読まないまま放置していました。ようやく一息ついたので、まずは「とれいん」誌から読み始める事に。何故そうしたかと言うと、表紙が非常に良く出来たナロー林鉄レイアウトの写真なのですよ。
表紙をめくると、日本鉄道模型ショウのレポートが。つまり鉄模連ショウですな。まだ開催されていないのにレポートが掲載されているとは、光より早いですね。ネットを上回る速報性にびっくりですよ!
・・・あれれ、記事のタイトルを見ると「'99日本鉄道模型ショウ」と書いてありますね。よく見てみると、これは9月号は9月号でも、今から10年前の1999年9月号(No.297)ではありませんか!
★表紙になっているのは伊藤誠一氏のHOナローレイアウト「品川営林署 御影沢林道」。700×450mmの小型レイアウトですが、素晴らしい出来栄え、かつ見ごたえのあるレイアウト。細かく作られているというだけでなく、基本的なデザインやプランが優れていると思います。伊藤さんの作品の凄さはあちこちで紹介されていますので、今更ワタシが貧弱な言葉で語る必要も無いと思いますが、林鉄ナローモデルファンの方はこの号は一度見ておいた方が良いでしょう。
↓「御影沢林道」はこちらに画像があります。
伊藤誠一さんのレイアウト(鉄道模型のある生活)
レイアウトと同時に車輌も発表されており、ITO WORKSブランドで発売されたガレージキットを組み立てた酒井C16型3.5tDLや岩手富士産業の特殊軽量機関車などが掲載されています。φ6やφ4のポケベル用モーター*1で動力化されていますが、これらの作品は当時のナローファンにとって驚異以外の何者でもありませんでした*2。今でこそワールド工芸やモデルワーゲンからHOナローの極小サイズの機関車が製品化されていますが、当時はそんなものは無く、乗工社の加藤5トンやグマインダーが最小サイズの製品だったのです。
★夏のショウ・レポートとして、99日本鉄道模型ショウ(鉄模連ショウ)と第21回日本鉄道模型ショウNゲージショー)が掲載。名称が紛らわしいですが、前者は日本鉄道模型連合会主催のHOを中心としたショー、後者は日本Nゲージ鉄道模型工業会主催のNゲージを中心としたショーです。鉄模連ショウの方は東急百貨店日本橋*3Nゲージショウは松屋銀座*4での開催が通例でしたが、前年をもって東急日本橋店が閉店*5し、この年の鉄模連ショウは東急東横店で開催されたのです。しかし東横店で開催されたのはこの年が最初で最後。まもなく鉄模連でそれまで中心的な役割を果たしていたカツミが脱退、翌年からの鉄模連ショウは蒲田で10月前後に開催されるようになりました。一方、新たにJAMが結成され、KATO・TOMIX等の大手Nゲージメーカーに加えてカツミも協賛。第1回目の国際鉄道模型コンベンションが翌2000年に新宿で開催されたのでした。
余談はさて置き、鉄模連ショウのグラフでは、乗工社玉電80赤塗装と木曽Cコッペル、NゲージのC56、モデルワーゲンの1/87 12mmの銚子デハ301、モデルスIMONの12ミリ道床付線路等が掲載。ご存知の方も多いでしょうが、この年の暮れに乗工社の経営危機の噂が流れ、年が明けた2000年1月に破産*6玉電80赤塗装は結局発売されず*7、木曽Cコッペルは破産直後に発売*8乗工社ナロー最後の製品となってしまいました。
そうそう、カツミがショウ記念品で16番の玉電200を出したのですが、この直後、銀座の4Fには乗工社の1/87玉電200が何台も並んでいたのを記憶しています。


▲カツミの1/80玉電200
★そういえばこの頃の鉄模連ショウでは、「国鉄道模型クラブ大集合」として、各地の鉄道模型クラブに募集をかけて作品を募り、ショーケースの中で展示するという企画が行われていました。相当な数の作品が集まっており、非常に楽しく参考になる展示でした。1980年代初頭まではTMSコンペの応募作品の展示会*9が開催されていましたが、それが無くなって以来、アマチュアの作品を直接見る機会というのは殆ど無かったのです。


▲「全国鉄道模型クラブ大集合」に展示されていた作品
松屋で開催されたNゲージショウでは、津川洋行がHOナローの有蓋車、沼尻ガソ101用の動力装置TU-2を出品しています。この動力装置は相当な自信作だったようですが、経年変化でギアが割れてしまう事象が発生。10年後の今日、走行可能な個体はどれだけあることやら…。アルモデルの沼尻ガソ動力化床板パーツを使ってKATOポケットライン動力に交換してしまった方が大半でしょう。

そういえばつい先日、津川はNゲージの銚子デキ3をリリースしましたが(とうまさんがレポートされてます)、実はこのショウの際に予告をしており、何と十年の時を経てようやく発売になったという事になります。

▲1999年の松屋Nゲージショーで津川ブースに貼ってあった予告★製品紹介欄である「新車登場」欄を見ると、Nゲージエッチングキットの製品が多数掲載されています。この頃はNゲージ金属キットの全盛時代だったのかもしれませんが、まもなくマイクロエースと、それを追撃するKATO、TOMIXによるNゲージプラ製品大量リリース時代が到来。今では見る影も無くなってしまった感があります。
★松本謙一氏による「Pipe Smoking」欄は「インディアンはやっぱり親戚だった!」「"あせしらず"を覚えていますか?」の二本立て。今では松謙さんも「前社主」となってしまい、パイプスモーキングも掲載されなくなってしまいましたね。
★最後のページでは二井林一晟(にいばやし・いつあき)氏の訃報が掲載されています。近年鉄道模型を始めた方はご存知ない方が多いと思いますが、二井林氏は鉄道模型趣味(TMS)誌で1950〜60年代に健筆を振るったモデラー。軽便風16番レイアウトの「瑞穂鉄道」や、「レイアウト全書」収録の16番トロリーレイアウトの記事で多くの読者を魅了した方であります。二井林さんの一連の記事は今読み返しても面白いのです。それに比べて我がブログの文章の何とつまらない事よ。
★つい先日のような気がするけれど、よく考えてみれば10年前である1999年。7の月に恐怖の大魔王こそ降臨しなかったものの、この前後に模型界が大きく変わっていったような気がしないでもありません。この10年間に起こったいろいろな事柄を思い出しつつ、10年前のとれいん誌のページを閉じたのでありました。

*1:ポケベルっていうのもすっかり死語ですな。

*2:でも家元や管さんは、当時既にこの特殊軽量キットにチャレンジして、動力化して走らせていました。

*3:白木屋・・・なんて言うと年がバレますよ

*4:空襲で爆弾が貫通して穴が開いてしまったので、それ以来真ん中が吹き抜けになっている(真偽の程は不明)・・・なんて言うと年がバレますよ

*5:日本橋店って土日にクルマで行ってもすんなり駐車場に止める事が出来たんですよね。それだけ客が少なかったという事でしょう

*6:実は乗工社は株式会社でも有限会社でもなく、自営業である倉持尚弘氏が名乗っていた屋号という事だったのです。よって、正確には「倒産」ではないので、ここでは「破産」としています

*7:赤電仕様はかなり後になってからIMONから発売されてますね。

*8:別の会社が買い取り、市場に流したとの噂でした。

*9:例年銀座の天賞堂で開催されていましたが、そこが使えなくなった為に最後の1回は池袋サンシャインシティで開催されました