軽便鉄模アンテナ雑記帳

軽便鉄模アンテナ管理人(うかい)の雑記帳です。ナローゲージ鉄道模型の話題が主

新年にTMS新年号を読む・2013

毎年お正月は雑誌の新年号を読んで過ごすのを習慣としている小生。今年もお屠蘇を飲みながら年末に買ってきたTMS1月号を読み始めました。
珊瑚模型店の広告を見ると「ナローファンにおくるHOn2-1/2新製品・ボールドウィンサドル"ダックス"近日発売」との文字が。ナローゲージャーにとって嬉しいニュースですね!
トビーはC58、ピノチオは京浜急行1000系を1月中旬に発売予定…あれれ、ピノチオって閉店するんじゃなかったでしたっけ?
…よくよく見てみれば、1月号は1月号でも、1973年の1月号ではありませんか! どうやらお屠蘇の飲み過ぎで間違ってしまった様です。
というわけで、今から40年前鉄道模型趣味1973年1月号を見ていきたいと思います。
★この号はナローゲージャーにとって重大な意味を持つ号。なぜならば、87.PRECINCT(87分署)による「the DACHS STORY」が連載開始された号なのです。この「ダックスストーリー」はアマチュアの模型グループ87分署が企画・設計したHOナロー9mmの機関車「ダックス」を珊瑚模型店が製造・発売、このダックスを軸とした記事がTMS誌に連載されるというもの。
TMS誌の山崎喜陽主筆は、この号末尾の「編集者の手帖」欄で、以下の様に記しています。

その模型に対する考え方とその進め方で、本誌としては完全に賛成できる方式ではなく、また決してすぐに一般のファンに適応できるとは思わないが、少なくとも充分な理解が可能な層が増加しつつあることは事実で、あえて掲載にふみきったのである。

時代背景を解説しますと…

  • 1966年にTMSに連載された橋本真氏のHOナローレイアウト「祖師谷軽便鉄道」の記事により、若手モデラーを中心にナローに注目が集まっていた。
  • 日本型ナロー製品は事実上存在しなかった(僅かに珊瑚模型店が1/80スケールの抜けていないエッチング板を出していた程度)*1
  • HOナロー9mm製品の嚆矢、西ドイツのエガーバーンは既に倒産しており、デパートなどで売れ残りがある程度だった。
  • HOナローではリリプット製品はデパートなどで販売されていたが、あまり日本型には向いていない大きさと車種だった。
  • PECOのナロー用OO9線路については、機芸出版社が1969年より輸入していた。

1960年代末〜1970年代初期のTMSのナロー関連記事は「ナローゲージモデリング」にまとめられていますが、機関車をスクラッチする記事が多いのです。これはキットも完成品も無かったので自作せざるを得なかったからなのです。87分署はけむりプロ及びさーくる軽のメンバーによって結成されましたが、けむりプロは木曽のボールドウィンを、さーくる軽は南軽ボールドウィンサドルを、それぞれフルスクラッチで製作し、TMS誌上で発表しています。しかし87分署は機関車を自作するだけでなく、製品そのものを作ってしまう「ダックスプロジェクト」を実行したのです。今でこそアマチュアのファンが趣味としてガレージキットを作成する事は当たり前に行われていますが、1973年当時、アマチュアが本格的な製品を作ってしまうなんて考えられない事だったのです*2
後、この87分署の製品開発活動は乗工社へと繋がって行くのですが、書き出すと止まらないのでこの辺りにて。
なお、ダックスストーリーについては、昨年二玄社から発売された「写真と模型で楽しむ鉄道模型2・珊瑚模型店の小宇宙」に収録の「the DACHS STORY's Story いま語られる87.PRECINCTの舞台裏」(当時87分署のメンバーであった西さんへのインタビュー記事)をお読みになる事をお勧めします。

写真と図面で楽しむ鉄道模型〈2〉珊瑚模型店の小宇宙

写真と図面で楽しむ鉄道模型〈2〉珊瑚模型店の小宇宙

しかし、ダックスから40年も経ってしまったのですね…。
★巻頭の記事は「9mmゲージC57製作記」。1970年前後にNゲージフルスクラッチ作品を複数発表された平石久行氏の作品。当然ながらこのC57も完全自作。モーターこそ関水金属製品を使っていますが、動輪も自作。そしてその輪芯を複数作成する為に、何とダイキャストマシンを自作して鋳造しているのです。
この当時のNゲージ日本型はC50(初代)が製造中止=絶版状態で、入手できるのはC11C62のみ。D51がようやく発売されようという時期。スペース的に有利なNゲージでレイアウトを作っても、そこで走らせる車輌の車種が恐ろしく少なかったのです。自作の為のゲージではないとされつつも、一部の腕達者なベテランモデラーによる優れたスクラッチビルド作品が雑誌上でいくつか発表されています。
★ところで興味深いのは、この作品は表紙では「NゲージC57」、目次や本文では「9mmゲージC57」となっている事。そして、同じ号の長島氏の記事(後述)は「Nゲージ雑記帳」。関水金属の広告では「N・9mmゲージ」との見出し。この頃はまだ国内では「9mmゲージ」という呼び方が主流だった時代です。
★「Nゲージ雑記帳」は16番変形機の自作で知られた長島宏至氏の記事で、Nゲージの線路と車輌、そしてカプラーについて検証した記事です。今では当時以上に走らせて楽しむファンも多いのに*3、この様な記事が近年の模型誌にあまり見られないのが気になります。
★「ビッグスケールのトロリー N電を作る」池末弘氏の記事。この1/22.5 45mmゲージのN電はモンカルライン後藤氏に贈られた品で、後藤氏が新居に作ったLGBによる庭園鉄道で走らせる為の車輌。Gゲージ製品が少なかった*4頃ゆえ、車輪とギア、モーターを除き自作。しばらく前にヤフオクにモンカルラインの16番ゲージの花電車(これも作者は池末氏)が出品され、話題になりましたが、このN電もどこかで現存しているのでしょうか?
★「英国のナローゲージライプを訪ねて」は、1971年に山崎喜陽主筆が渡英した際に取材したもの。イギリスのR. J. K. Relph氏が製作した16mmスケール(約1/19)・32mmゲージ(PECOでは「SM-32」と呼称。Oゲージと同じ32ミリゲージで2フィートナローを模型化するもの)の電気コントロール式ライブスチームの記事で、レルフ氏自身による解説記事も掲載。ライブといっても電気コントロールにより通常の鉄道模型と同様に遠隔操作が出来、しかもシーナリー付の室内レイアウトを走っているのです。部屋を汚さぬように公害防止に力を入れたロコになっていて、「数年間にわたる運転にも関わらず、道床のバラストが汚れていない」との事。
★ところで、この号には「製品の紹介」欄が無いのです。他の記事で盛りだくさんなので掲載しなかったのでしょうが、今のように狂ったように新製品が出る時代には考えられない事であります。

*1:抜けていないエッチング板というのは1960年代〜1970年代に掛けて複数の模型店から各種出ていましたが、アマチュアのファンが原図を書いて模型店エッチングを依頼したものが一般にも販売された…という例が多い様です。

*2:そもそも「ガレージキット」という概念や言葉が日本のプラモデル界で出てくるのは1979年頃、海洋堂ボークス、ゼネラルプロダクツといったガレージキットを商品として販売し始めるのは1980年代に入ってから。鉄道模型界でガレージキットという言葉が使われ始めるのは、JNMAフェスティバルが開催されるようになった辺りからでしょう。

*3:「日本のファンは走らせないから」みたいな言説をよく見かけますが、それは一部の車輌工作マニアがそうなだけであって、鉄道模型ファン全体でみれば思われている以上に走らせて楽しむファンが多い筈です。貸しレイアウトなんてものもありますし、KATOとトミーがこれでもかという程に線路システムのバリエーションを拡張しているのですから。

*4:そもそも「Gゲージ」という呼び方はこの当時はされてなかった。正式にはIImゲージ(2番ゲージのメーターゲージナロー)ですが、LGBがアメリカ型を出したり、アメリカで45mmナローが出るようになってから「Gゲージ」の呼び方が出てきたと記憶