軽便鉄模アンテナ雑記帳

軽便鉄模アンテナ管理人(うかい)の雑記帳です。ナローゲージ鉄道模型の話題が主

赤井哲朗氏を偲ぶ

鉄道模型趣味 2019年 12 月号 [雑誌]

鉄道模型趣味 2019年 12 月号 [雑誌]

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 機芸出版社
  • 発売日: 2019/11/20
  • メディア: 雑誌
鉄道模型趣味(TMS)誌2019年12月号にて、TMS誌発行元である機芸出版社の前社長であり、編集長であられた石橋春生(赤井哲朗)氏が10月にお亡くなりになられた事が報じられました。

石橋社長と赤井哲朗

★TMS誌の昔からの読者にとっては、石橋さんというより、ペンネームである「赤井哲朗」の方が馴染みが深いのです。軽妙洒脱な文章を通じて、鉄道模型が大人のホビーである事を教えて下さった方ですが、近年は赤井哲朗としての記事執筆はなく、若い方々は「機芸社の前社長が亡くなった」位にしか思っていない様で、いささか残念であります。
また年配の方々は、TMSの実物記事(鉄道ファン誌が創刊される以前は、TMS誌は実物記事も相当に掲載していた)や「プロトタイプガイド」(後に「鉄道車輛401集」として単行本化)の印象が強い模様。そういえば鉄道ファン誌200号では、当時の宮田編集長のたっての依頼で、赤井哲朗氏が200号記念企画「ファンの撮った車輌の顔200選」の解説を務めるなんて事もありました。そして忘れてはならないのは、イラスト担当の片野正巳氏とのコンビによる「陸蒸気からひかりまで」「私鉄電車プロファイル」の2冊。赤井哲朗氏は鉄道趣味界の名解説者であったと言えましょう。
★しかし我々ナローゲージャーにとっては、赤井哲朗氏は「日本におけるナローゲージモデルの普及に貢献された方」そして「長勢軽便鉄道社長」なのであります。TMS誌が古くからナローやナローっぽいもの(当時は「ゲテモノ」などと呼ばれた)をしばしば掲載していたのは、赤井哲朗氏の影響も大きかったのでは?と思います。

特集シリーズの赤井哲朗

★赤井哲朗氏が書かれた記事のうち、特集シリーズ等の単行本に収録されたもの(すなわち、リアルタイムで読んだ方以外にもよく知られている記事)を振り返ってみましょう(一部欠落があるかもしれませんが、ご容赦下さい)。

  • 夢を気にする話(TMS1951年4月(31)号掲載/TMS特集シリーズ1「鉄道模型作品二十題」再録)→2軸車にボギー台車を履かせる事を「ムキ化する」と言いますが、その大元はこの記事。ワムやトムをワキやトキにする…ムをキにするから「夢を気にする話」なのです。
  • ゲテモノサロン(「石橋春生」で発表)(TMS1951年8月(35)号掲載/TMS特集シリーズ5「模型車輛デザインブック」再録)→この記事は本名で発表されています。TMS初期では「石橋春生」と「赤井哲朗」の両方が使われていたそうですが、いつしか「赤井哲朗」名だけになった模様。古今東西の「ゲテモノ」車輌を紹介されています。
  • たんたん式とカブース(TMS1952年2月(41)号掲載/TMS特集シリーズ1「鉄道模型作品20題」再録)→16番ですが、アメリカの3フィートナローのグースを思わせるカタチの単端を、貨車キットを元に製作。
  • 夏の客車を作る(TMS1952年8月(48)号掲載/TMS特集シリーズ3「電車と機関車の工作」再録)→16番のオープンサイド客車の製作記。「夏の客車」という響きが良いですね。
  • モデルファン雑記帖(TMS1953年2月(54)号掲載/TMS特集シリーズ8「高級モデル・ノート」再録)→鉄道模型人の生態についてタイプ分けして記した記事ですが、70年近く経った今とあまり変わらなかったりします(笑)
  • ナローゲージモデルについて(TMS1953年5月(57)号掲載/TMS特集シリーズ8「高級モデル・ノート」再録)→この記事が、日本の鉄道模型雑誌でナローゲージモデルという概念を解説した最初の記事であったと思われます。この時点ではまだNゲージは登場しておらず、アメリカのHOn3ナローに合わせた1/76・10.5ミリナローを提案されています。
  • デハユ10製作記(TMS1955年7月(84)号掲載/TMS特集シリーズ9「16番車輛工作ブック」再録)→広浜鉄道/国鉄のモハニ92がプロトタイプ。車体は真鍮自作。この記事に影響を受けてデハユ10…もといモハニ92を製作された方は多い筈。TMS2019年12月号の小林信夫氏の追悼イラストにも登場しておりました。
  • ガソリン機関車と貨車と(TMS1958年7月(121)号掲載/TMS特集シリーズ10「変った車輛30題」再録)→かの有名な「長勢軽便鉄道ガキ1」。真鍮自作による10.5mmゲージナローの内燃機関車。何となく愉快なスタイルが印象に残ります。
  • ナローゲージモデル・その製品の普及と現況(TMS1969年10月(256)号掲載/1976年「ナローゲージモデリング」に追記の上再録)→1969年10月号はナローゲージ特集であり、それに合わせて掲載された記事。エガーバーンやジューフ、リリプットやLGBといった海外量産ナローゲージ製品が日本でもデパートを中心に販売されるようになった時代で、それらの製品を通じてナローゲージモデルそのものを解説。後(1976年)「ナローゲージモデリング」に、その後の状況(珊瑚のダックスや乗工社などの日本国内製品の状況を含めて)を追記した上で、再録されています。
  • タンタンとホロハ(TMS1975年1月(319)号掲載/「ナローゲージブック1」に再録)→自製エッチング板で作った車体+ケロッグコーンフレークのおまけのT型フォードのボンネット+ミニトリックスNゲージの下回りで作った日車タイプの単端と、16番古典客車の側板を生かして作った草軽ホロハ。
  • 軽便電車製作記(TMS1975年4月(322)号掲載/「ナローゲージブック1」に再録)→プラ板自作の車体にNゲージEF65の動力を組み合わせて作った近鉄モニ220。この時代はプラ板はまだ新しい素材だった頃。
  • 気動車2輛とスチームトラム(TMS1975年12月(330)号掲載/「ナローゲージブック1」に再録)→他のTMSスタッフが製作途中で放棄した武蔵中央1(路面電車です)の車体を使った駿遠線風気動車と、エンドウの16番キハ02を唐竹割りして作った簡易軌道風気動車、それにリリプットの客車+珊瑚沼尻DC12の下回りのスチームトラム。特にキハ02改造車は真似して作った人は多い筈。

★この他に、[https://keuka.hatenablog.com/entry/20150124/1422102282:title=TMS1965年2月(200)号掲載の「ナローゲージ散策」]も特集シリーズに再録されていないですが忘れてはならない記事。エガーバーンが日本にも販売され、またナローに下回りや線路を転用可能なNゲージが日本でも関水金属から発売されようとしていた時期に、当時の最新の情勢を随筆的にまとめた記事です。
 現代の様にナローのスケール/ゲージが概ね固定化されている時代とは異なり、まずはどういうスケール・ゲージが考えられるのかを解説しておかなければならなかったのです。
57号の「ナローゲージモデルについて」、256号の「ナローゲージモデル・その製品の普及と現況」と合わせて、ナローゲージモデルという概念を読者に知らしめる記事でありました。
 令和の今であれば「ネットでググれば…」と思いがちですが、案外分かりやすくまとめた記事は少ないし、そういう記事や解説を書ける力量のある人は少ないのです。ワタシも書いてみようと思いつつ、力量及ばず未だに書く事が出来ません。

1975年の赤井哲朗

★さて、上にリストアップした記事群を見ると、1975年に「タンタンとホロハ」「軽便電車製作記」「気動車2輌とスチームトラム」と、ナロー作品発表記事が集中しています。やはり、1973年のダックスストーリー、1975年の乗工社コッペルと、いよいよ日本でもナロー製品が登場…という時期だったからでしょうか?
 この1975年の「赤井哲朗軽便三部作」ともいうべき記事がいずれも赤井哲朗節全開、読ませる記事とはかくあらなければならない!というものなのです。
 例えば、「軽便電車製作記」は、以下の書き出しで始まっています。

ある爽やかな休日の朝、机の上で古ぼけた茶色の封筒と物指付のスコヤーが出会ったのが、そもそもの事の起りであった。

 ここで読者はグッっと掴まれる。凡人ですと「ナンタラ系はホニャララ鉄道に〇〇年に登場した~」のように、実物解説を延々と書いてしまったりするワケです。一方赤井氏は実物については…

怪しげな図面の中から三重交通モニ220戦後型がピックアップされた。今も近鉄傘下で健在の軽便電車である。

 これだけしか書いていませんが、よほど知られていないプロトタイプでない限り、これで十分だと思うのです。
★書き出しに限らず、これらの三部作では赤井節があちこちに炸裂。

西大寺や沼尻などにあるように、ラジエーターグリルだけペタンとはったのも単端に違いないが、やはり米国フォード製20馬力1400回転の発動機ここに在中なぞと雌雄はっきり見える方が気持がよいではないか。

(タンタンとホロハ)

こうなったら、同じものを作り直すファイトがもうなくなる情けなさ。よくも、ここまで2輛分作ったものだと自ら慰さめて、そこで少しでも簡単にと2枚窓にしてしまえ、ホンモノだって225号は片側2枚窓ではないか。実物知識はかかるときにこそ役立てるのが最高と言わなくてはならない!

(軽便電車製作記)

以来、当社では車体真っ向カラダケ割りのワザは御法度とされてきたのであるが、何の因果かちょうど20年後の夏に、再びこの奥義が鉄板車体を真っ二つにしてしまったのである。

気動車2輛とスチームトラム)
★これより以前、1973年にはTMSの同僚かつ名コンビの片野正巳氏による「玉軌道の車輌たち」が掲載(のち「ナローゲージブック1」に再録)。この記事中では「赤井社長」「ちょうせい軽便ガキ1」などが登場。ここでは「赤井哲朗」は玉軌道ワールドの登場人物になっています(T型フォードを見ると「わしに運転させよ!」を思い出す中高年ナローゲージャーも多い筈)。また文中に「菅コンツェルン東京工場では近頃少なくとも2輛の軽便電車を建造中、という噂が耳に入っています。」とありますが、それが「軽便電車製作記」のモニ220であるワケです。
★よく考えてみれば、いずれも半世紀近く前の記事。しかしオジサンになった今でも、朝食にコーンフレークをほおばるたびに「中からT型フォード出てこないかな」と思い、T型フォードを見ると「わしに運転させよ!」を思い出し、お手軽工作の際に「実物知識はかかるときにこそ…」とウソぶき、キハ02を見るたびに「真っ向カラダケ割り!」と真っ二つにしたくなる…。赤井哲朗おそるべしであります。
その一方で、同じころに誌面を飾ったスーパーディテール作品などはほとんど覚えていなかったりする…不思議なものであります。ワタシがナロー好きだからというだけでは無い様な気がします。
★赤井哲朗さん、鉄道模型の楽しさ、ナローゲージモデルの楽しさを教えて頂き、ありがとうございました。そしてさようなら。