軽便鉄模アンテナ雑記帳

軽便鉄模アンテナ管理人(うかい)の雑記帳です。ナローゲージ鉄道模型の話題が主

TMS5月号を読む

このところ仕事が忙しく、ゴールデンウィークも家の用事で忙しかったので、先月末に買ってきた鉄道模型趣味(TMS)誌5月号をよく読むヒマがありませんでした。そろそろ次の6月号も出てしまいますので、ようやくページをパラパラ。表紙にもなっているストラクチャーが良いですね。あと、1/80・9mmで花巻馬面電車が出るという広告が出ています。今話題の猫屋線に合わせて1/80にしたのかしら? メーカーは…しなのマイクロ??
…あれれ、このTMS、5月号は5月号でも、2017年ではなくて1977年の5月号ではありませんか!!
と言うワケで、今から40年前の鉄道模型趣味誌1977年5月(347)号を見ていきたいと思います。

内野氏のOゲージ蒸機と村上氏の16番ストラクチャー

★表紙になっているのは16番秩父鉄道300系、OゲージNP-4-8-4、16番近江湖東駅本屋の三作品。このうち内野日出男氏によるOゲージアメリカ形大型蒸機 NP4-8-4の製作がトップバッターです。作者の内野氏は「最近はTMS誌上に大きなスケール物が時々顔を出すのでとても嬉しく、私もと思い」と書かれており、また末尾の「編集者の手帖」欄では

このような機関車の発表記事は、編集の立場からいえば写真に図解にまた解説にと非常な時間を必要とするが、TMSでなければといういささか自負をもって読者諸兄の参考に供したい

と記されています。「TMSでなければ」とあるのは、この2年前にとれいん誌が創刊されているからでありましょう。

近江湖東駅本屋は村上氏による作品で、山陰線嵯峨駅をモデルとした1/80自作ストラクチャー。カラーグラフを含め何と20ページを費やして紹介されています。50cmを超える大きなストラクチャーだけに、強度を重視して3mmべニア板で基礎組を作り、その上に下見板等を貼っている構造。ストラクチャー工作はこの頃よりも盛んになっている(車輌に比べればまだまだですが)と思いますが、これだけ大きなストラクチャーはあまり見ない気がします。
★16番の車輌作品は、秩父鉄道300系、5500形蒸機、宇部線の4連の3作品。秩父鉄道300はペーパー自作で、近年も活躍しておられる片木氏の作品。今でこそ地方私鉄の電車がNでも鉄コレで発売されていますが、この頃は16番であっても自作するしかなかった時代。5500形蒸機はJALCOの出羽氏の作品で真鍮自作。テンダーモーターであるのが時代を感じさせます。

旧国モデラーのパイオニア・西尾博保氏

宇部線の4連はペーパー自作で、高田正彦氏と共に旧型国電を多数製作され発表された金沢在住の西尾博保氏の作品。60年代末から70年代にかけて、かの雲竜寺鉄道の荒崎氏や新諸国鉄道の北市氏など、金沢近辺のモデラー方々がTMS誌上で大活躍していた印象があります。

西尾氏、および70年前後の金沢近辺のモデラーについては、上のワークスKさんのブログ記事が詳しく、一読をお勧めいたします。単なる一読者でしかない私が付けくわえさせて頂くなら、グリーンマックスNゲージ旧国キットも、西尾氏の作品群が無ければ存在しなかったのではないか?と思うのですが、どうでしょう。そもそも16番全盛時代、73系や70系(横須賀型)・80系(湘南型)辺りは製品がありましたが、それ以前の戦前型旧国は殆ど製品化されていなかった(鉄道模型社のモハ50系位か?)のです*1。高田・西尾両氏の作品群で、旧国のバリエーションの豊かさが模型ファンに認識され、GMNゲージで戦前型旧国を発売するにあたり、バリエーションを楽しむのに最適なキット形式を採用した…とも考えられるのです*2

プレ・プレイモデル?な中村汪介さんの記事

Nゲージ(当時のTMSでは「9mmゲージ」と表記)の作品は唯一「コンテナー電車の作り方」のみ。三津根鉄道でもおなじみ中村汪介氏による記事で、関水(KATO)の103系とコキ10000を使ってクモヤ22を近代化したようなコンテナ電車を作るというもの。Nゲージの車種が極端に少なかった当時、このような軽工作によるフリーで車種のバリエーションを増やしたものでした。中村汪介氏というと、とかく16番車輌・レイアウトでの活躍ばかりがクローズアップされますが、Nゲージ初期(プレイモデル以前)において果たした役割も評価するべきでありましょう*3

印象深い「私のナロー天国」

★さて、ナローゲージャーとして、この号のTMSには非常に印象深い記事が掲載されています。「私のナロー天国」という題名で、作者は酒井一記氏。9ミリナローの作品群ですが、動力車はNゲージ下回り利用、客貨車は台車にナロー用パーツやNゲージパーツを利用し、上回りは自作(素材については記されていませんがおそらくペーパー)なのですが、何と窓抜きは完全フリーハンドで、その不揃いさが味になっている作品なのです。車輌のデザインも自由奔放で、なんとも言えない不思議な魅力のある模型鉄道であります。記事中には

赤井哲朗氏のガソリン機関車の記事や、故角倉彬夫氏のOn2 1/2の芸術的車輌たちは、まるで幼なかった私の胸に強く刻み込まれ、そして今も、はてしないナローへの夢を追いかけさせているのです

とあり、角倉氏のイプシロン鉄道あたりの影響が伺えますし、車輌群の中にはイプシロン鉄道のメールカーの縮小コピー版も存在します。また車輌だけでなく、自作やアメリカの木製キットを組み立てたストラクチャーもあります。最近はこういったタイプのナロー作品がすっかり少なくなってしまった気がします。

製品紹介では木曾カブースと雨宮タイプ登場

★「製品の紹介」欄では、16番は宮沢模型のED75、ムサシノモデルの車体傾斜装置、しなのマイクロのEH10、いさみやのクハ183-1000ペーパーキット、鉄道模型社の東京都電400キット、Nゲージグリーンマックスの都会型ホームキット、学研のホーム(待合室付)、トミー香港製ワキ5000、キ100、イズミ電子の自動列車停止装置ATSS-4Aが、ナローでは乗工社の木曾カブース・軽便無蓋車、いさみやロコワークスの雨宮タイプCタンクが掲載されています。
乗工社の木曾カブースは何度も再生産された製品ですが、ここで紹介されているのは一番最初の製品で、まだ接着剤組立に対応しておらず、台車枠がドロップだった時代のもの。軽便無蓋車は乗工社末期まで再生産が繰り返されましたが、発売当初は側板と妻板が真鍮ドロップ製、下回りはPECO2軸貨車を流用するもの。後に側板と妻板のドロップは材質が真鍮からアルミになり、下回りは自社製となりました。帯その他の細かいハンダ付けをしなくても済む様にドロップを使ったのでしょうが、今だったはホワイトメタルで作るところでしょう。
いさみやの雨宮タイプはトミーのNゲージKSK-Cタンクの下回りを利用するホワイトメタルキットですが、TMS2015年5月号にて、いのうえ・こーいち氏がご自身で原型を作り、いさみやに持ち込んだ製品であった事を告白?されておられます。もっともカンの良い方であれば、この製品の説明書の文字の書体が初期の企画室ネコの本でよく使われるもの*4であることからして、ピンときたことでしょう。
「ハンダ付を全く使わず、接着剤だけで組立てるこの種キットは、誰にでもナローゲージが楽しめるという点で存在価値が高い」とコメントされていますが、この時代は機芸出版社が輸入していたバリキットを始めとする英国製ホワイトメタルナロー機関車ボディキットが接着剤で組める事で重宝されていましたし、このしばらく後、乗工社も接着剤で組める真鍮キットを発売する事になるのです。

ぷろじぇくと・はちまる

★さて、広告欄を見ると、TOMIXが1ページ広告で「充実、国鉄貨車19形式」をアピール。いずれも香港製で当初はトミーナインスケールブランドで発売され、この前年のTOMIX発足に伴い、TOMIXブランドに変更されたもの。Nゲージメーカーが関水1社の時代は、こんなに貨車の種類は存在せず、バラエティ豊かな貨物列車なんぞNゲージでは楽しめなかったのです。
関水金属(KATO)の広告では「新製品 モーターのない?モハ181」が掲載。「既発売のモハ181(モーター付)#410は大変パワーがあり、編成中に1輌あれば十分なので、モーターなしのモハ181・モハ180を新しく製作しました」とあります。
今ではあたり前の事ですが、この当時は16番だと縦型モーターとインサイドギアによる動力装置で、編成中に複数モーター車があるのが普通でしたし、Nゲージでも103系ではモーターなしのクモハ103モハ103は設定されていませんでした。今のように実物通りの長編成を組む人も殆どいなかったから、あまり問題なかったのでしょう。
サカツウ坂本通販の広告では「直売店<4月1日>オープン」とあり、直売店を開店した事を告知。いまは「さかつうギャラリー」としてジオラマショップとして盛業中、かつアメリカ型鉄道模型部門は「さかつう鉄道模型店」として暖簾分けし平和島で営業していますが、もともとは通販専門で「坂本通販」を略して「サカツウ」だったのです。
★ナロー関連では、しなのマイクロの広告が「ぷろじぇくと はちまる」のブランド名で1/80 9mmゲージ花巻電鉄デハ1形の発売を告知。

ぷろじぇくと はちまるとは、現行の16番・1/80を基本に、ある時は国鉄型のもつあの独特なる狭軌感を強調して13mmゲージ車輌を、そしてある時は小私鉄軽便をナロー・9mmゲージに具体化していく、きわめてマニア的な企画・設計、製作グループの謂です。1/80・13mm、1/80・9mmナローにおける私どもの積極的な企画にご期待ください。

とあります。
グループ名からして、あきらかに87分署=乗工社に対抗しているのが分りますが、グループとして実態があったのか、それともしなの社内+外部アドバイザー位の感じであったのか…。ともあれ、ひらがなで「ぷろじぇくと はちまる」なんで大きく書くのは70年代的感覚で、21世紀の今見るといささか背中がむず痒くなる感じもあります。
ぷろじぇくとはちまる第一弾の花巻デハ1形"馬づら電車"は、ポールなしが8200円、ポール付が9000円、専用S1220シールドモーターが2100円とあります。また、1/80・9mmナロー近日発売として、草軽電鉄L電/下津井電鉄モハ53とありますが、実際には草軽は発売されず代わりに黒部の凸電が、そして下津井はモハ53ではなくモハ102+クハ53が発売されました。
花巻は売り切れた様ですが、黒部と下津井は思う様に売れず、長い間模型店の棚のこやし常連でした。2000年代に入るまであちこちの模型屋に不良在庫していたような記憶がありますが、近頃はヤフオクで良い値段になっています。「あの時買い占めて今オクに流せば、定期預金よりも利率が良かったに〜」などというセコイ考えが浮かぶ今日この頃であります(苦笑)
その後、しなのマイクロはNゲージ主体になるものの、乱発が祟ってか倒産。プラモデルの有井製作所の傘下に入ってマイクロエースとして再建するも、いつしか活動停止。90年代に入って、有井製作所がNゲージのブランドとしてマイクロエースの名を再び使う様になり、さらに会社名そのものを有井製作所からマイクロエースに。今ではプラモデルも「マイクロエース」の名で出しているのは御承知の通り。さらに1/80・16.5mmプラ完成品について「PROJECT 80」の名前を再び使っています。さすがにひらがな表記は使っていませんが…。

▲ぷろじぇくと はちまるの箱(所蔵:長者丸作業部)。左上の黒部凸電の箱ですが、花巻の箱もほぼ同一。ここまでデカデカと書かれると…

▲「企画・製作 ぷろじぇくと はちまる」とあるが、果たしてその実態は?
なお、しなのマイクロ広告中に「会社移転のお知らせ」があり、柴又から埼玉県三郷市に移転したことを告知、小売部がある訳でもないのに、建物の写真まで掲載しています。グーグルストリートビューで検索してみたところ、この建物は現存しています。
また、しなのマイクロの活動記録をまとめたページが以下に存在します。

★さてさて、まだまだ書きたい事がありますが、これ以上古いTMS5月号を読んでいると、現代のTMS5月号が読めなくなりますので、この辺りにてお開きとさせていただきます。

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*1:1/80の旧国キットといえばピノチオが有名でしたが、実はグリーンマックスNゲージ旧国とほぼ同時期からスタートしたのです。

*2:グリーンマックスは客車についてはキット形式で発売しましたが、電車については111系、73系、小田急1800と、最初に製品化されたものはいずれも完成品での発売でした。1978年に出たクモハ41/クハ55、クモハ43/クハ47からキット形式での発売となりました

*3:TMS誌上で1960年代末〜70年代半ばにかけてNゲージ車輌の軽工作記事やレイアウトの作り方記事を何度も書かれている他、1979年には子供の科学より「Nゲージの鉄道けんせつ」という単行本も出されています

*4:いのうえ氏はネコ・パブリッシングの前身である企画室ネコの立ち上げに関与されており、レイルマガジン創刊以前の書籍や、カーマガジンの前身「スクランブル・カーマガジン」などはいのうえ氏の色が強いものでした。また1978年に出た「TMSカタログ」も企画室ネコが編集・制作を請け負ったもので、機芸出版社の本でありながら書体その他は企画室ネコの本そのものでした。