軽便鉄模アンテナ雑記帳

軽便鉄模アンテナ管理人(うかい)の雑記帳です。ナローゲージ鉄道模型の話題が主

TMS1968年4月号を読む

このところ忙しかったもので、先週買ってきたTMS(鉄道模型趣味)誌4月号も今頃になってようやく読み始めました。表紙のNゲージレイアウト、いいですね〜。
巻頭グラフでは片野氏の8550と橋本氏のナローゲージのガソリンカーとボギー客車が並んでいます。裏表紙の広告では「レイアウト全書」が増刷発売・大好評!とあります・・・
・・・何か変ですね。あれれ、4月号は4月号でも41年前の1968年4月号ではありませんか! 間違って買ってきた最新号でなく、大昔のバックナンバーを読んでましたよ!
というわけで、この41年前のTMS(鉄道模型趣味)誌4月号を見て行きましょう。
226ページ*1は「組立式レイアウト用 ターンテーブルを作る」という井上順二氏の記事。16番ゲージの組立式レイアウト用に「30ミリ足らずの厚みの中に一切の機構を組み込むことに成功した」というものですが、なんだかどこかで見たような既視感が・・・。よく考えてみると、外見(下路式)やコンセプトは後に(1980年頃)トミックスから発売され、最近も再生産されているNゲージターンテーブルによく似ています。もしかすると、この井上氏のターンテーブルにインスパイアされ、同様のコンセプトでNゲージ用につくられたのがトミックスの製品なのかもしれません。
★233ページの「製品の紹介」では関水金属*29mmゲージ流線型ディーゼル電機(ALCO PA-1クラス)が紹介されています。当時はNゲージではなく、「9mmゲージ」と呼ばれていたのです。見開き2ページを費やし、動力装置を分解して詳細に解説されていますが、内歯車のカップギアーによる減速や、ギアを兼ねたデルリンの車軸による絶縁、台車内部のダイキャストフレームが左右に分かれていて集電を行うなど、後にEF70の改良版やEF65で使われ、平成に入ってフライホイール使用の新型動力*3に順次切り替わるまで長らく電機に使われた手法・構造が新機構として用いられています。末尾では「すべての鉄道模型製品がせめてこの半分でも”考えられた”製品であるなら、ファンの楽しみが又ふえることであろう」と結ばれています。この頃の16番製品は縦型モーターにインサイドギア、電線は車内に丸見え・・・という時代だったのです。
★237ページでは箱根登山鉄道モハ1の製作法として、ピノチオ模型の車体キットを使った製作法が解説されています。この当時私鉄電車の製品というのはまだまだ珍しかった時代です。
★255ページでは「TMSアンケート当選者発表」が掲載。この年の2月号で実施したアンケートの景品の当選者発表ですが、アンケート回答者数がなんと総計5234通との事。「当初の予想をはるかに上回り」とも書かれており、編集部としても予想外であったようです。この当時のTMSの実売部数は不明ですが、それにしても相当な数です。雑誌も読者も熱かった時代なのでしょう。
★256ページの「私の鉄道から」では、西宮の吉川氏の「1形式1輌主義に対する批判」という投稿が掲載されています。レイアウト上で1形式1輌づつしか無いのは非実感的であり、実物の鉄道同様に同一形式が複数輌であるべきではないか?という意見。吉川さんはその後もレイアウト等の記事で誌面に登場されておられる方で、「大阪陸蒸気」を覚えておられる方も多いかと思います。最近ではTMS2008年5月号(No.780)に「"一形式一輌主義"を批判した後は」という記事を書かれておられます。
★259ページでは橋本真氏によるHOn2 1/2ゲージの「ガソリンカーと2輌の客車」。のちに「ナローゲージモデリング」に再録された記事なのでご存知の方も多いでしょう。祖師谷軽便の3号として関水金属Nゲージ103系用の動力装置を利用して作られたナロー9ミリのボギーガソリンカーですが、この動力装置は初期の製品に用いられたもので、後の製品のものとは全く異なります。
これも今読むと簡単に作れそうに見えますが、当時はマイナーであったNゲージだけに、この動力装置自体を入手するのも簡単でなかったようです。量販店で鉄コレ動力が簡単に買える今とは時代が異なる訳ですな。
★263ページは山崎喜陽主筆による「ミキスト」欄ですが、「特集・TMSの9mmレイアウト」として、TMS編集部で試作したNゲージレイアウトを紹介しています。この2年半前(1965年)に作られたもので、山崎主筆は「カーブ半径や線路配置、さらにシーナリィなどの構想を考えあわせると、このレイアウトは日本はもとより世界でも恐らく最初のスケール的なレイアウトではなかろうかと思う」と記しています。ウェスコット氏が発表したLガーダー台枠や、ジョン・アレンが用いたハードシェル技法による地形製作の技法を用いて作られたテストレイアウトです。文中、

関水の車輪のフランジは、その当時から現在も続いているヨーロッパ方式の背の高いもの(0.8〜0.9mm)ではなく、16番ほどではないがスケールに近い0.6mmをとることをすすめたため、これによって脱線などが起るかどうかを本格的なレイアウト上でたしかめたかった

特にフランジについては、現在アメリカでもNMRAで問題となっているが、日本では絶対にこれより大きなフランジを使う必要はないと確信している。このことは機会をみてまた書きたい

とあります。このフランジ寸法がそのまま現代にまで続いていると思うのですが、絶妙な寸法だったような気もします。ご存知の方も多いでしょうが、しばらく前に関水金属・・・KATOが、新製品や再生産品に「ローフランジ車輪」を標準装備したものの、Nゲージャーからのクレーム続発で元に戻った事があったからですよ。
しかし、この頃(1960年代半ば)のTMSを見ると、やま氏及びTMSが創世記のNゲージをバックアップし、育てようとしている事がよく分かります。やま氏といえばとかく16番の事ばかりが取り上げられますが、実は一番の功績はNゲージを生み出し、育てた事だったのではないでしょうか? 氏にとって16番は長男であり、Nゲージは次男だったのですよ。このことは機会をみてまた書きたい(←ミキスト風)
★266ページでは編集部の片野正巳氏による「8550形の作り方」の最終回。16番ゲージの8550形をスクラッチビルドする作り方の記事で、この記事をバイブルとした蒸機スクラッチビルダーの方も多い様です。確かに読んでいると不器用なワタシでも何となく作れそうな気がする(あくまでも「気がする」ですよ)のであります。そして、行間から片野さんの熱意が伝わってくるように感じられます。
★最後の方のページは広告欄ですが、「トレイン モデル サプライ」というメイルオーダー専門の店の広告で「特別提供 レイアウト用プラスター」とあります。白色プラスターが1箱500円、調色プラスターが1箱680円。シーナリー材料としてプラスターがまだ目新しい時代であった事が感じられます*4。当時注文して買われた方はおられるのでしょうか?
その上には「ミックスコーナーみづの」の広告があり、「大変お待たせして申し訳ありませんが4110形もうしばらくお待ち下さい」とあります。店の場所は「中野駅北口ブロードウェイセンター4階」、そう、今やオタクの殿堂として有名なあの中野ブロードウェイです。そしてこの「みづの」は、後のマイクロキャスト水野であります。そういえばマイクロキャスト水野もいつの間にか広告が消えてますが、業務も止めてしまったようですね。

(2009/03/29追記)

skt48さんにコメント頂いて思い出しましたが、ミキストでレポートされているNゲージレイアウトは、後に1970年3月号〜5月号(261〜263号)に「9ミリゲージレイアウトの製作例 ループのあるレイアウト」として記事が連載されました。この記事は1997年に発行された「Nゲージレイアウト5」に「日本初のNレイアウトはこのように作られた」として再録されています。

*1:この当時のTMSはページ番号は年間で通番だったのです。なのでこの号はいきなり219ページから始まるのです

*2:この当時はKATOなんて呼ばなかったのだよ・・・って前も書いたなぁ。「KATO」のロゴが製品に入るようになったのは1970年代になってから。そしてブランド名としてKATOを前面に出すようになったのは1980年頃からであります。

*3:EF81がフライホイール使用の第一弾でしたね。それ以前にもしなのマイクロがフライホイールを使ってましたが、ほとんど効果がない感じでしたので、どうせKATOと言えども・・・と思って走らせてみたら、よく惰行するのでビックリ仰天しましたが、あれからもう20年近く経つのか・・・orz

*4:もっとも今だって、トミックスのシーナリープラスター以外は小口で入手する手段は無いと思います。DIY店で焼石膏やセメントはあっても、プラスターを売っているところを見た事が無いのですよ。