軽便鉄模アンテナ雑記帳

軽便鉄模アンテナ管理人(うかい)の雑記帳です。ナローゲージ鉄道模型の話題が主

あれから10年・・・乗工社が終わった日

★カレンダーを見て、今日が1月17日である事に気がつきました。15年前の今日、阪神大震災が起こり、そして10年前の今日、乗工社は決済日に決済不能となり、25年の歴史に幕を閉じたのです。
1999年の年末頃から一部で乗工社の経営危機が噂されていましたが、2000年1月12日に債権者に対し、翌週17日の決済日に決済不能となった旨の連絡が入り、これによって乗工社の破綻が確定したのでありました。
★コンピュータの西暦2000年問題が囁かれ、あちこちでその対応に追われていた1999年の12月。仕事の帰りにモデルスIMON大井町店に寄ってみました。大井町店はその年に開店したばかりで、その日は行くのは2回目。店内に入ると前回来た時よりもショーケースが増えており、その増えたショーケースの中には乗工社製品が大量に詰まっていたのです。プラケースのエコノミーシリーズから白箱のキット、金箱の完成品、ナロー以外にも1/87玉電や16番の京急関東鉄道のキハなどもありました。よく見るとそのショーケースの上には「40%OFF」という立て札が立っていました。
しかし不思議な事に、店内には増えたそのショーケースとは別に乗工社製品のコーナーがあるのです。そもそもそんなセールをやるなら、もっと大々的にPRする筈。しかしイモンの雑誌広告にもWebページにも一切書かれておらず、ショーケースの上の立て札(たしか「開店1周年記念セール」と書かれていた)もひっそりと置かれており、さらには同じイモンでも原宿店ではこの40%OFFセールなどやっていませんでした。
★誰かがイタズラして別のところに置かれていた立て札を乗工社製品のコーナーの上に置いたのではないか?とさえ思い、半信半疑でショーケースの中の品から木曽酒井DLキットを買い求めました。レジで精算したところ、確かに40%OFFの価格で買えたのですが、その買い求めたキットのプラケースには、イモンの通常の値札ラベルが付いていないのです。
★何か只ならぬ雰囲気を感じたのですが、その直後から「乗工社が危ない」という噂が模型店や一部のモデラーの間で流れ始めたようです。当時既にインターネットはある程度普及していましたし、ニフティ鉄道フォーラム*1も全盛だったころですが、流石に公のネット上にそのような情報を書きこんだ人はいませんでした*2
★私がその噂を知ったのは、年末にナローの大先輩のHさんとNさんとお茶した際の事。その時に「乗工社がヤバイらしい」という噂話を聞いて、謎の40%OFFセールの理由がようやく判明しました。後日別の方から聞いた噂では、破産を回避する為に在庫をイモンに買い取ってもらったらしく、その買い取られた在庫が大井町店のショーケースにぎっちり詰まって40%OFFで売られていたのでしょう。どうりでこっそりひっそりとセールしていた訳です。
★心配されていた西暦2000年問題は各方面の尽力もあってか大きな問題は起こらずに済みましたが、乗工社は年末は乗り切れたものの、年が明けてまもなく力尽きたのでありました。1月末発売の鉄道模型雑誌には差し替えが間に合わず乗工社の広告は掲載されていましたが、その時点で全ては終わっていたのです。
★当時、ある掲示板に関係者の方が書かれていた内容*3によると、「債務総額3億円。そのうち2億が金融機関。約10社の下請けは数百万円づつ損害」とありました。「鉄道模型でそんなに損を出す訳がない」「本業以外の何かで失敗したのではないか」というのが大方の見方でした。
代表であられた倉持尚弘氏*4もその4年後の2004年9月に亡くなり、今となってはどうして破綻してしまったのかは謎のまま。知ったところでどうにかなるものではありませんが、どうもすっきりとしないというか、割り切れないというか・・・
★つれづれに書いてみましたが、どうも生臭い話になってしまったようで恐縮です(以前に書いた話と重複する部分もありますし・・・)。乗工社について語りたい事はいろいろありますが、どうも上手くまとまらないのです。しかし、エガーバーンの登場前と登場後、ダックスの登場前と登場後で日本のナロー模型が大きく変わったのと同様、乗工社破綻前と破綻後でもナローゲージ鉄道模型界は大きく変わったような感じもします。すなわち、10年前の今日は、今にして思えばある種の境目だったと思うのです。
そのような訳で、10年前の事をここに記してみた次第です。

関連するリンク

*1:ニフティといえば現在はインターネットプロバイダですが、当時はパソコン通信で、各種のフォーラムが花ざかりでした。判り易く言えば今のmixiのコミュってところかな?

*2:当時はまだ2ちゃんねるは出来たばかりであり、多くのネットユーザーに知られるようになったのはそのしばらく後です

*3:現在も存続している掲示板ではありますが、書き込みした暫く後に該当発言は削除されたような記憶があります

*4:乗工社というのは個人事業主であった倉持尚弘氏の屋号であり、乗工社は有限会社でも株式会社でもありませんでした