軽便鉄模アンテナ雑記帳

軽便鉄模アンテナ管理人(うかい)の雑記帳です。ナローゲージ鉄道模型の話題が主

TMS1990年6月号を読む

毎回好評なんだか不評なんだかイマイチ不明の「軽便メディアチェック」、今日は20日ということでTMS(鉄道模型趣味)誌の発売日。会社の帰りに6月号を手に入れてきましたので、早速紹介いたしまししょう。表紙はNゲージジョイフルトレイン各種が並ぶ写真。そして「ナロー蒸機25輌」の文字が! これは期待できそうですね。

↓あれれ、アマゾンに上がっている表紙画像と違うような…。

っていうかワタシが入手した6月号の表紙にある「1990」って数字は何? 
…よくよく見てみればTMS6月号は6月号でも1990年の6月号ではありませんか!
というわけで、今から21年前鉄道模型趣味(TMS)誌1990年6月号(通巻529号)をご紹介したいと思います。

林信夫氏のTMS初登場

★巻頭記事は林信夫氏の「ナロー蒸機2ダース+1」。『つれづれなるままに作りつづけた軽便蒸機たち。この20年間、たまりにたまって御覧のとおり…。』という書き出しで始まるこの記事、最初のページはカラー見開きで25輌が掲載、以降のページでも小林氏お得意のイラストが散りばめられ、さらに「こんなレイアウト作りたかった」として、1ページ大の情景イラストが3ページも。なかなかのボリュームです。
トビーの幻のナローBタンクにインスパイアされた第1作の0号機(無動力)に始まり、和久田恵一氏の9.5ミリゲージコッペルの記事*1を参考に自作した井笠タイプ、機芸出版社が輸入した英国PECO/GEMのホワイトメタルキット、ダグラス、ジェームス、ドルゴー、ジャネット、そしてバリキット*2をベースにした作品、いさみやの雨宮ホワイトメタルキット*3を組んだ作品…。全部で25輌がその思い出と共に紹介されています。
★この25輌の中には乗工社の機関車はたった1輌だけ、乗工社初めての製品・初代のB型コッペルがあるのみ。「これだけは持っていないとナローゲージャーとしてはモグリと言われそうなので…」として一番最後で紹介されています。
ナローというと、とかく87分署及び珊瑚・乗工社系中心に語られる事が多いですが、乗工社登場以前及びその後も、乗工社製品とは別のナローの流れがあったのです。小林氏は「ごくごく私的なナロー遍歴」と書かれていますが、いろいろな人の遍歴を通じて多方面から見ることで、正しい(?)ナロー模型史が浮かび上がってくるように思います。
ところで、「2ダース+1」とありますが、「プラス1」がどの機関車なのかが記事中では書かれていない事に気付きました。単純に全部で25輌だから2ダース=24+1としただけなのでしょうか?。私は第1作の0号機が「プラス1」に該当すると20年間思いこんでいたのですが、今読み返してみると乗工社コッペルが「プラス1」なのかも…という気もしなくもありません。
以前にも書きましたが、この記事は小林信夫氏のTMSデビュー作。多くのモデラーグリーンマックスのカタログや箱絵のイラストを書いていた人の名前をこの記事で初めて知ったのです。なお、小林イラストがカタログに使われていたのは80年代一杯までであって、それ以降のカタログや新たな製品のイラストは別の人のイラストに変わってしまいました。ただ、ストラクチャー製品の箱絵などはいまだに小林イラストが使われている製品がありますので、若い方でもご存じでありましょう。この記事が好評だったのでしょうか、小林氏はTMSの常連として多数記事を発表され、20年後の今に至るのはご承知の通りであります。
★さて、この記事はなかなかに楽しい記事ではありましたが、その一方で何となく寂しい感じを受けたのです。最後の方で「或る時期から主に健康上の理由でレイアウトに対する情熱を失い」と書かれており、またイラストに「こんなレイアウト作りたかった」とのタイトルが付けられていたのが主たる原因ではありましたが、決してそれだけでは無かったのではないかと、当時の小林氏と(恐らく)同年代に近づきつつある今となっては思うのです。上手く言えないのでありますが…
個人的にはこの記事がキッカケとなって、冷めかかっていたナロー熱が再発。そしてこの後の9月号で乗工社の日本型製品復活の広告が掲載。ナロー模型氷河期が終わりを告げたのでありますが、21年後の今日、その乗工社も既にありません。
★この記事の最後のページの下には、バリキットをはじめとするPECOナローホワイトメタルボディーキットの広告がありますが「下まわりの入手の紹介はいたしかねます」という文言があります。1970年代前半にバリキットが最初に日本に輸入された頃はデパートの鉄道模型売り場等でミニトリックスやアーノルトのB、Cタンク機が割合簡単に入手でき*4、またその後発売されたトミーナインスケール/トミックスのKSKタイプCタンクも使えたのですが、この頃にはそれらが簡単には入手できない時代となっていたのです。そうそう、この広告ではPECOのOO9ナロー線路も掲載されていますが、その中で「ナローフレキ線路は今回の輸入から910mmになりました」とあります。

Nゲージミニパイクの嚆矢「千城木電鉄」

★この号でもう一つ印象的だったのは、Nゲージレイアウト「千城木電鉄」です(後にこの記事は「Nゲージレイアウト6」に再録)。サイズは900mm×300mm、最小曲線半径R110mmのNゲージ地方小私鉄タイプのレイアウトです。当時はNゲージの小型車も少なく*5、もちろんミニカーブレールなんてのも存在せず、Nゲージのレイアウトも畳一畳程度の大型の物が主流で、900×600mmが最小サイズとされていた時代。そんな時代にコンパクトなサイズで「鉄道」を楽しんでいるこの作品はインパクトがありました。
★最初のページは見開きで、そこで掲載されている筆者撮影の写真は900×300というコンパクトなスペースのレイアウトとは思えない広がり感があり、本物の青空を背景にしている為に良い雰囲気になっています。線路配置はシンプル、シーナリーもごく平凡なのですが、それゆえにいかにもありそうな地方電鉄風景に感じられる気がします。
架空の地方私鉄を想定してモデリングする流れ…その源流は片野正巳氏の「玉軌道」や松井久明氏の「鯨川地鉄」にあり、近年では宮下洋一氏の「地鉄*6が有名。Nゲージであれば、16番では難しかったレイアウトまで含めた展開が出来る筈であり、ささやかなれどそれを実現した好例がこの千城木電鉄と言えましょう。
Nゲージでの架空地方私鉄タイプの模型としては、この後にTMS誌1995年9月号〜11月号に「神奈川電鉄」、とれいん誌1993年5月号〜10月号に「逗子海岸電軌」が掲載されたのをご記憶の方も多いでしょう。今では「鉄コレ」その他の製品が充実して大幅に楽になった筈なのですが、その割に印象に残る作品が少なく、またNゲージの利点を生かしてレイアウトまで発展する例も少ないのは残念です。

以外とNゲージ作品が多かった時代

★車輌作品では、16番/13mmが「C56が牽くイベント客車」「169系」「スユ42」、Nが「103系205系1000」「秩父鉄道デキ500」、「ジョイフルトレイン60輌」が掲載。今よりもNゲージ作品の割合が多い気がします。
★表紙になっている「ジョイフルトレイン60輌」は完成品やキットを手際よく改造して仕上げた作品。60輌の内訳は12系、14系、20系といった客車改造車が大半。今やジョイフルトレインも電車か気動車ですし、そもそも車種によってはプラ完成品で発売されていたりするのですから、隔世の感があります。
★「秩父鉄道デキ500」は高校一年生の作者が製作予算500円!でプラ板で自作した作品。動力ユニットも製品の動力台車とモーターを利用して自作したとの事。簡素なれどすっきりかつしっかりと良く出来ています。そういえば最近はNゲージプラ板自作作品をあまり見ない気が…。

その他のページ

★「鉄道趣味誌・情報ファイル」という連載コーナーがこの頃のTMSにはありました。鉄道ファン、鉄道ジャーナル、鉄道ピクトリアルの前月号に掲載された記事を紹介する2ページのコーナー。いつの間にか消えてしまいましたが、正直あまり役に立たなかった気がします。紹介されているのは前月号ですので、それを見てバックナンバーを入手するより、書店でTMSを買うついでに隣に並んでいる実物誌を一通り立ち読みして良い記事があれば買えば良いのですから…。もっとも、インターネットの普及した今日であれば、紙の雑誌ではなくネットを使って各誌発売と同時にアップするなんて事も可能でしょう。もしあれば重宝されるWebページになるように思います。
★広告欄を見ると、今は亡き店が数多くある一方、現在の有名模型店でこの頃は影も形もない店が結構ある事に気付きます。例えばモデルスイモンもポポンデッタもこの頃は存在していません。そうそう、現代の模型誌広告欄でいやという程見る「中古高価買い取り」の文字もこの頃は殆どありません。中古売買が盛んになるのは、この数年後に天賞堂エバーグリーンショップやホビーランドぽちが出現してからだったと思います。*7
★全頁広告で「MR(モデルレールローディング)'90 IN KYOTO」というイベントが告知されています。1990年6月9日(土)、10日(日)にホテル京阪京都2階桜の間にて開催。これはプレスアイゼンバーンが事務局になって開催されていたメーカーが出展する鉄道模型ショー。広告には「これまで5回の経験をフルに生かして」とあります。この頃は鉄道模型関連のイベントというと、銀座松屋でのNゲージショーと日本橋東急での鉄模連ショー位しかなく、目新しく感じた記憶があります。もっとも学生時代で色々と忙しく(?)実際に行った事はなかったのですが…

そして20年の月日が流れ去り…

★この号が出た1990年はバブル真っ盛り。しかしこの後、バブル崩壊阪神大震災地下鉄サリン事件…と、激動の90年代が日本を待ちうけていたのです。鉄道模型界でも色々な出来事がありました。そして今や2011年。1990年なんてつい最近のような気がしてしますが、20年以上も前の事なのです。そろそろ1960年代や70年代同様に1990年代の模型界の様々な事を歴史として記録しておくべき時なのではないか…などと思いつつ、21年前のTMSのページを閉じたのでした。
というか、21年前じゃなくて、現代のTMS6月号買ってこなくっちゃ…。これから本屋へ行ってきます(笑)

関連するリンク

*1:のち「ナローゲージモデリング」に収録。エガーバーン及びNゲージ登場以前の為、762mmを1/80した9.5ミリゲージで製作されている。初期のナローゲージャーに9ミリナロー蒸機自作の為のバイブルとされていた記事。ちなみに和久田さんは現在もお元気にフリーランスのナロー機関車のスクラッチビルドを続けておられます。いずれどこかで発表される事があるでしょうが、出来もデザインも素晴らしいの一言!

*2:バリキットの説明では「グリーンマックスの電車キットの元祖のような」とありますが、小林氏がGMのカタログや説明書に関与されていた事からすると、オマケパーツ一杯のGMキットの発想の元はバリキットだったのでは…とも思うのです。真相は如何に?

*3:トミックスのNゲージKSK Cタンクの下回りを使うホワイトメタルキット

*4:国産Nゲージのラインナップが少なかった為、ミニトリックスやアーノルトなどの外国製品が多数輸入されていました。

*5:というか、トミックスのベルニナ号とグリーンマックスの箱根登山、京津線、江の電タイプ位

*6:昔は「武蔵野地鉄」でしたが、現在では「中越地鉄」と変わっています

*7:当時既にダヴィンチのような店もありましたし、いさみやのように客からの委託品を扱う店もありました。しかしそれらは今程メジャーではなく、また利用する側も何となく後ろめたさがあったのも事実です